2019年08月02日

そんな英語教育は要らない

そんな英語教育は要らない



 私の教室の保護者にアンケートを取りお子さんが英語を学ぶことによって何を望んでいるかを尋ねると、「英語を楽しんで欲しい」「楽しく話して欲しい」という声が圧倒的に多かった。私の方針と同じであることに安堵すると同時に、国の教育方針を決めておられる方々よりもずっと保護者の方が先を見ていると感じた。

 私が英語教師になったのは、自分が英語を話せるようになって楽しいことばかりだったから。それを我が子にも味わって欲しくて教室を開いたのが最初。もっと言えば、英語で話すことで自分の心の声をただ伝える、その感覚が心地よかったから、それが一番の理由。
 海外を旅してみて、また海外生活をする中で興味深かったのは、ただ同じエレベーターに乗った人や同じ観光地で観光をしていた人と話すことだった。特に自分のことに興味を持たれることに驚いた。日本では自分の心の内や過去の出来事また家族の話を親しい人でも、そこまで話すことはない。善い悪いではなく、文化や思想の部分だと思う。
 ただ、海外で私は自分の話をたくさんしたし、それをじっくり聴いてくれる人がたくさんいたことは事実。日本にいる時よりもずっと自分の考え方を尋ねられた。心の中にあることを表現することの楽しさを、私は「英語」を通して体験したのだ。

「英語教育」を通して、私は子どもたちに「自分を自由に表現すること」を体験させたいと思っている。私が読み書きよりも「話すこと」に重点を置いているのはそれが理由だし、そこで表現の楽しさを知った子どもたちは、自ずと読んだり書いたりを始める。そこに着目している。
「話す」レッスンの中で一番大切にしているのは、子どもたちが「無駄なことは言ってはいけない」「授業の邪魔をしてはいけない」「周りの人は自分のことなんか興味ない」と思っている部分を壊すこと。だから、私の教室は新年度がスタートした後、すぐ混沌とする。みんなに発言の自由を与えるからだ。
 そこから、人が話している時はじっくり聞く、そしてその話の内容に関してもっと掘り下げてみたり…を英語だけでなく必要に応じて日本語も交えて行う。最初は好きな色を尋ねても「わからない」と答えていた子どもたちがどんどん発言をし出すそのプロセスはドラマチックで、私はそれがあるから教師を続けている。

 日本が英語教育を本格的に始めようとしている。でも、実は英語教育は「英語」という教科の話ではなく、「ことば」「コミュニケーション」の話なのだ。今言われている「日本の子どもたちの自己肯定感の欠如」が、ここで楽しく自分を表現してそれが受け入れられる、興味を持ってもらえる、と気付いた時に克服出来るチャンスなのだ。
 しかし、それ以外の文化が変わらないのであれば、英語もただの退屈な暗記教科の一つ。中学校の中には生徒の発言を認めない。学校の意向に沿ったものしか取り上げられない。という話が多く上っているが、それを壊すことが出来るのが「英語」であるはずなのに、子どもたちはその「英語」で忖度を始めている。相手が求める答えを言わなくちゃ、日本語では慣れてしまったそれかもしれないが、出来れば英語では自由に話させてあげて欲しい。
もっと言うと、これからはパソコンでプレゼンや論文を書く時代。AIと共存していくといった意味では、AIに出来ることはAIに任せ、自分にしかできない感覚や表現のセンスの部分を伸ばす必要がある。単語を機械的に100個覚える間に、もっと自分で考えて意見を述べる授業を増やせば、自分の言葉で話せる人が増える。そして、文章化する場合はAIとタッグを組んで単語の精度をあげていけば良い。

 日本語で出来ることをただ英語に置き換えただけの様な教育ならば、ハナから国際社会とはズレている訳だし、そんなにお金や時間を費やして英語教育をする必要はない。しかし方法と目的さえしっかりすれば、これからの日本を引っ張る人を育てる可能性を充分持っているのも「英語」なのだ。


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