2020年05月19日
コロナ禍の"オンラインMoms' Cafe" にて子育てを語る
さて、この非常時の「心の寄り添い」をテーマにしてきた私のオンライン企画も最後となった。最後はこのコロナ禍で一番疲れ果てているであろう大人のための企画。
私は普段、数ヶ月に一度教室をカフェに見立てて時間の合う保護者が集まり、おしゃべりをする「Moms' Cafe」というものを開催しているが、そのオンラインバージョン。ただ、オンラインは抵抗がある方が多いことを知っていたので「カメラ・マイクオフで大丈夫。チャット機能でご意見ご感想をお送りください」とした。
あらかじめいただいていたトピックは「子どもを放牧する様に育てるのが良い、と本に書いてあったので実践してみたが、子どものスイッチが入ったかどうかはわからず。結局元の自分に戻ってしまう。いつまで見守るのが良いのか」というもの。
私自身は3人の子どもたちが全員中学生以上、と大きいのである程度の子育ての心配事は過ぎ去ったのだが、もしこれが10年前に起こっていたらと想像すると、それだけでもその大変さがわかる。きっと不安で押しつぶされそうになっているだろう。そして、いろいろな情報を見ては自己嫌悪に陥り、更に不安になっていただろう。
ほぼ子育て卒業の私が今、こうして皆さんのお話を伺うことは「他人事感」がないか?と自問もしてみたけれど、逆にだからこそ笑ってお話を聞けるだろうとも思った。子育て真っ只中の時は、答えが欲しい。今はこうだけど、将来はきっと大丈夫だという保証が欲しい。その気持ちが痛いほどわかるからこそ、私は私の経験を活かすことが出来ると思ったので、皆さんからのご意見も伺いながら、私は私の経験上の話をしてみた。
子どものスイッチがいつ入るか、の話だが。ではそのスイッチが入った状態がどうであったら、自分は満足するんだろう、と考えてみることは面白い。実際おうちの方も先生も「自分が言う通りにしたらOK」という、とても曖昧な価値観の中で子どもと向き合ってしまいがち。でもその子にとっては何がスイッチなのか。そこを考えてみると面白い。もっと言うと、それを親子で話し合ってみるのは楽しいと思う。そこでもし「子どもの心配をしていることの目的」が見えたらその目的に沿って動くことが出来たら良い。
例えば掃除して欲しい理由は、汚い部屋で過ごすと病気になるからか、それとも掃除をするという習慣をつけて欲しいからか。そして掃除をすること、宿題をすること、午前中は家にいて欲しいこと、「お手伝いない?」と声をかけてくれること…など、自分が子どもに言っていることや言いたいことをリストアップしてみた時に、その数の多さを確認してみたら良いだろう。
そして、一体どれが子どものために本当に必要と思うか、その上位1つか2つを話し合いながら習慣を作ってみれば良い。
ついつい勢いで思いつくまま指示を出してしまいがちだが、届いていないと思うならば、実際それは自分が口にしているだけで本当に伝えたいことではないのかも知れない。「親だから言わなきゃ」という義務感だから伝わらかも知れないのだ。
一方、もし自分がその子の中に入ってこの状況を見てみたら、のんびりしたい時に否応無く上から5つも6つも指令が下る環境は耐えられないだろう。だから、1つか2つ。子どもに選ばせてみても面白いと思う。子どもはどんなに嫌な環境でも逃げられないのだ。家と学校、習い事以外の場所に居場所を探すこと自体が大変なのだ。
これを対話の機会にしてみたら親子の上下関係がググッと変わって、子どもたちに主体性が生まれることだろう。
子どもたち同様、私たち自身も自分のハードルを下げることが大切。
「指令すること」が目的になると、自分もしんどい。だから「伝えること」「子どもと一緒に決めること」など目的を再確認してから、実行みたらその目的は達成しやすい。
子育て中に取り入れる情報程、武器にも毒にもなるものはない。
先輩や専門家の言うことに「なるほど!」と思いながら「でも自分には出来ない」と自己嫌悪の毒地獄へ落ちていく。だからこそ、私は自分の失敗談も話したいし同じ自己嫌悪や悩みの中にいた時の話もしたい。そして今言えることを伝えたい。
「あの時に大成功の実感があったら、きっと親子共成長はなかったと思う」
ということを。これでいいのか、と思いながらも少しずつ少しずつ。本当に3歩進んで2歩下がり、立ち止まってしゃがみこんだりしながら、気がついたら後ろに道が出来ていた。そんな子育て。でも子どもたちの手を離すことはしない。心配したり不安になったりするのは、想いがあるから。だから、悩むことは大切なこと。悩んだり不安になる自分を責めないで欲しい。
そもそも子育てに正解不正解はなく、見る人によってその価値が変わる。気をつけなければいけないのは「自分の視点を持つこと」。人の価値に振り回されていると自分を見失い、自分の価値を見失う。それが一番怖いことであり、陥りがちなこと。今思い返しても、私が一番辛かったのは人の意見に振り回されていた時だと思う。
例えば今、我が子の髪の色は黒ではない。
これを「子育て失敗だ」と言う人がいたら私はどうするだろう。きっと何も感じない。それがその人の価値観であり、私とは違う価値観をお持ちだな、と思うだけ。
まだ子どもが幼かった時の、人の意見に振り回される私のままだったら、私は自分が失敗したと思って凹むかも知れない。もしかすると「いや、この子は実はいい子で」なんて変な言い訳をしてしまうか知れない。
でも、この人はこの人の価値観で生きていて、私は私。一番大切なのは我が子もそうやって人の価値観を認めながら自分の価値観も大事にしながら生きていってくれること。だから私自身は幸せなんです。
「幸せな子」を育てるのではなく、
どんな境遇におかれても
「幸せになれる子」を育てたい。
これは皇后であった美智子さんの子育て論だけれど、この言葉を私自身もいつも心に留めている。幸せの価値なんて人それぞれ。時代によっても変わってくる。「自分の幸せ」を知っている人が一番幸せなんだと思う。
そんなメッセージをこれからも送っていきたい。
この情報化社会だからこそ、誰かの「幸せ」ではなく目の前の我が子にとっての「幸せ」を考えていたい。