2019年04月17日

死ね

死ね


 英語教室で週に一度子どもたちと会っていると、一週間の内に流行りの歌や遊び、言葉が変わるその早さに驚くことが多々ある。
その中で、先週までは出てこなかった言葉が教室の中で飛び交った。

 「死ね」

 もちろん笑いながら、その言葉にはふざけ合う仲間同士だから分かり合う親しみの様な意味合いがあることも分かる。
ただ、私自身その言葉に免疫がないのだ。その言葉を聞くと、その意味が強烈に私に届いてくる。

 「ちょっと聞いて」と話をする。
私が子どもの頃、私の周りには「死ね」という言葉を使う人がいなかったこと、6年生の時に都会から転校してきた男の子に教室で「死ね」と言われて酷く落ち込んだことを話した。
 「あのね、もう33年も前のことなのに、その子の名前は未だに忘れられないのよ。」
 「え?なんていう名前ですか」
私はその名前を答えた。もちろん未だに恨んでいるとか、そういう意味ではない。ただその子とはほとんど話したこともないのに、その言葉と一緒にその子のフルネームと顔が浮かんで来てしまうのは、当時の私にとってその言葉を向けられたことが、相当の衝撃だったことを表しているということは間違いない。

 名前を語って、もう33年が経つことを話した。
先生にとって「死ね」はその人が私に「死んで欲しい」と思っているのだ、と届く。未だに笑っては聞けない言葉。

 だからね、先生の前で言わないで欲しい。そして、もしかしたら自分の周りにそういう人がいるかも知れない、ってことを覚えておいて欲しい。
もちろんあなたが本気で友達に「死んで欲しい」と言ってるなんて思ってない。でもね、言葉はそうやって自分が思わない形で人に届くことがあるの。

 その後、もう一週間学校で言い続けて口癖になってしまっているはずの言葉を、その男の子は一度も教室で使わなかった。よほど心がけてくれたのだと思う。その思いやりを信じて語って良かったと思った。

 相手が子どもだからと、ルールで縛ったり、禁じたりするのは簡単。
でも時間を使って本気で腹を割って話してみると、何か温かいものが生まれてくるのだということを、また子どもたちが教えてくれた。
ルールは脆い。でも理解はずっとその子の中で栄養になると思う。


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