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2018年01月21日

Live your life.



 『これは私がどうしてもしたかったことだから、もしこの旅の中で私の身に何かあっても、どうか「行かせなければ良かった」とは思わないで欲しい』
そんな手紙を両親に残して、単身海外に渡った私。

 あれから20年後、同じ空港から我が娘が旅立って行くなんて。あの頃夢にも思わなかった。
1年前、留学と進学の方向性を娘が決めた時、二人で泣いた。娘の決断は自分の世界を広げることだったから、娘が希望を叶えるということは、もう一緒にいられる時間が少ないということを意味していた。
 そしてあれ以来、私達は泣くことも無くただ前を向いて歩いてきた。

 娘の出発の為に慌ただしく準備してきたのに、実際出発の日が来ることを想定していなかったのか、敢えてシミュレーションしてなかったからか、空港で「時間って、本当に過ぎるんだ」と不思議に感じた。嬉しいことも悲しいことも、来て欲しいことも来て欲しくないことも、必ずやってくる。
そんな当たり前のことを、とても恨めしく思った。これは素晴しいことじゃないか、と自分に言い聞かせてみても、今はただ、単純に淋しい。ただそれだけ。

 食事の時にいつも通りに5人分の食器を並べて、「あっ」と一つ棚に戻したり、夕方娘が帰ってくる時間に思わず待ってしまう。おやつを余分に買ってしまう、お弁当をもう一つ作ってしまう…しばらくそんな生活が続くのだろうけど、直に慣れるだろう。
そして気がついたら一年後、空港にまた迎えに行ってるんだ。そう、時間は過ぎるのだ

 娘が数日前に意味を教えてくれた、娘の好きな歌。これに励まされるのだと言っていた。
今は私のお気に入り。この歌を娘に贈ろう。

♪君はそのままで 僕の最高の人
ビビる必要なんかない
誰がなんて言ったって 君はそれでいいんだ
君は強い
君の人生を生きたらいいよ
21세기 소녀 〜21世紀少女〜by BTS

(一部抜粋要約)
  

2018年01月16日

ビバ☆アクティヴラーニング



 2018年最初の授業では、各クラスで「英語の感覚を取り戻す活動」をしました。
英語である程度会話が出来る様になったクラスでは、全く日本語を知らない人に「おせち料理」を説明するミッション。
このミッションは度々レッスン中にも行いますが、子どもたちが大好きな活動です。

 私はとにかく子どもたちに「英語しか通じない」という状況を作りだすために演じ切ります。「ほら、あのさ〜、かずのこ!」と言われると、キョトンとして"Hora anosa... what?" と聞き返し、子どもたちは本気で説明しなきゃ、という雰囲気になっていきます。日本語が完全に通じないとなると、子どもたちの工夫が始まります。そして出て来る言葉の面白いこと!「エビ、魚、マメ…」など知っている英語で次々と食材を伝えてくれる子、そして"Yummy!"(美味しいよ)と自分の感想を伝える子、"January"(1月)や"new year" (新年)
私は言われるままにホワイトボードに書き留めます。

 そしてしばらくして出尽くしてから、『じゃ、みんなの頭をグルッとしてアメリカの人になってください。もちろん"おせち"って言われても「え?なにそれ?」だよ。その頭でここにみんなが出してくれた言葉を全部見て、あのおせち料理を頭に浮べること、出来るかな?』
もちろんアメリカ人になるなんて、難しいのは百も承知。でも、それを「してみる」ことをして欲しいんです。相手の立場に完全に立てる訳が無い、でもそこで諦めずに出来るだけ相手の気持ちになってみる、それはとても大事なこと。

 「うーん」とじっくりホワイトボードを見つめている子どもたち。そして「いや、出てこんね〜」

私:『じゃあまた日本人に戻ってね。今から先生が言う言葉、何のことだか当ててみて。「スブラキ」ってなんでしょう。』

子どもたち:「木の種類?」「ロシアのスポーツ選手の名前」「会社の名前?」「掃除機?」…

私:『最初に欲しい情報って何かな』

子どもたち:「種類!」「食べ物かどうか知りたい!」

私:『じゃ、食べ物だとしたら、何が知りたい?』

子どもたち:「おいしいかどうか」「入っているもの」「いつたべるか」「だれがたべるか」「値段!」

そこでその質問一つ一つに英語で答えていき、子どもたちにそれを想像させます。
スブラキは私がニュージーランドに住んでいる時によく食べていたもの。ギリシャのお肉の串焼きです。そのサンドイッチが大好物でした。日本ではまだあまり知られていないので、敢えて『外国人にとっての「おせち」』を体験するために考えてみました。

では、おせちを説明する時にどんな情報が必要か、分かったかな。
その経験をすると、子どもたちはずっと上手に説明するようになります。言葉をたくさん覚えるのも大切だけど、それと同じくらい、自分の知っている限りで人に伝えること、伝える時に相手の立場に立ってみることは大切です。

結構頭が疲れる作業なのですが、子どもたちはこれが大好きなのです。
教室では『自分で考えて、想像して、伝えて…通じる!』 そんな語学学習の醍醐味をみんなで一緒に感じたいと思っています。  

2018年01月15日

言葉で変わる



 敬愛するマザーテレサさんの言葉に『…行動は習慣になり、習慣は性格になる…』(抜粋して要約)というものがあります。

 英語教師として日々たくさんの子どもたちに出会っていると、正にそうだと思うことが多々あります。
私の教室では年に数回、宿題で通帳に貯めたポイントを換算して教室紙幣に変え、買物を楽しむイベントがあります。これは「英語で買物をする体験、そして金額を尋ねて、自分の手持ちのお金と合わせる」…という英語と算数の要素を含むものです。

 子どもたちが大好きなこの企画ですが、準備は実に大変で楽しいもの。ある程度の予算は立てますが、子どもたちがどれだけ楽しみにしているかを知っているので、この時ばかりは赤字覚悟の大盤振る舞い。私自身、普段出来ない爆買い、大人買いを楽しんでいます。子どもたちがどんなに喜ぶだろう…と想像しながら、小さなバイクにおもちゃや文具、雑貨を満載して行ったり来たり…ミツバチの如く飛び回るのです。

 しかし、その私の選択も万人に通じる訳が無く、一瞥して
『今日全然良いのないね』
と、言い放ってしまう子どももいます。

 それだけ聞くと、「その子はなんて無礼なんだろう」と言われる方もおいででしょう。もちろん私も最初は傷付きました。でも、観察していると子どもたちは本当にそう思って言っていないことが多いのです。最終的に「良いのがない」と言った子が、喜んでおもちゃをたくさん買い込んで変えることも多々あります。
では、なぜその子はそんな事を言ってしまうのでしょう。

 それは、その子がネガティヴな事を言うのが口癖の様になっているからです。大人でも、まず挨拶代わりみたいにネガティヴな言葉を言う方、いらっしゃいますよね。その人にとっては口癖で、コミュニケーションのきっかけだったりするんです。

 そこで、考えました。今回は買物の前にみんなを集めて、日本語で丁寧に伝えました。
『あのね、先生はこんな風にして皆さんの頑張りに答えたい〜と、品物を選んできています。みんなの喜ぶ顔が見たくて、喜んで買物をします。でもね、それが全員にピッタリ合うものじゃないことだって、あるよね。
 そこでお願です。「あ、今回は好きなのないな〜」って思った時に、それを言うことで自分の気持ちがどうなるか、相手の気持ちがどうなるか、一旦言う前に考えてみてくれるかな。言う、言わないはみんなの判断にお任せするけど、一旦考えることをしてみてくださいね』

 するとどうでしょう。今回はみんなの顔が違っていました。「先生、これ、いいね。」「What's this?」」みんな、ある物の中から良いところを探していました。その目はキラキラしていて、喜びに満ちていました。
言葉一つで、こんなに違うのか、と驚くと同時に、自分が何気なく発している言葉について考える、という体験に真っ正面から向き合ってくれたみんなをとても愛おしく思いました

 私の希望は、この子どもたちがこれからずっと周りの人に愛され、可愛がられ続ける人になることです。
いずれ私の元を巣立って行く皆さん、そして毎日たっぷり愛を与えてくれるおうちの方の元からも巣立つ皆さん。それでもたくさん愛し、愛される存在でいて欲しいと思います。

 皆さんの目が、どんな物の中からも幸せを見つけることが出来る目なら、いつも笑顔でいられるでしょう。その笑顔と前向きな言葉で、いろいろな人と関わりながら、自分の道を切り拓いていって欲しいと心から願いつつ、日々子どもたちと過ごしています。  

2018年01月05日

研ぎすませ



 新しい年です。私は正月が誕生日なので、全てをリセット出来るような気分を更に強く感じています。そこで、今年は具体的に大きな目標を立てました。

 昨年は本当に心身共に多忙な年でした。身体に関しては、自分が思うように体が動かない事実を突きつけられて、とても驚き悲しい想いをしました。が、そのお陰で教室にスタッフを入れて私が出来ないことを手伝ってもらう、という新しい発想に至ることが出来ました。

 問題は心です。昨年たくさんの新しい出会いを経て、私が今の自分のまま進んで良いのだ、と思うことが出来たことは収穫です。ただ、あまりにも多くの情報が目の前を行き交い、特に小学校英語から始まる「子どもたちに本当に必要な環境」に関しては、私の信念が揺らぎそうになる程、社会が求めているものと私が必要だと思うことの溝を感じたのも事実です。

 年末年始は例年の通り夫の実家で過ごしました。普段あまり観ないテレビをたくさん観ました。夫の両親も好きな海外の番組をたくさん観ました。ある街を歩き、その人たちの暮らしに迫るのです。そこで、みんなが「自分にとっての幸せ」を大切にしていることが、私を原点に立ち返らせてくれました。
私の敬愛する師匠の言葉に『教育は「幸せになるため」のものだ』というものがあります。

 この情報社会、競争社会で敢えて私の今年のテーマは『原点回帰』。改めて自分の五感に頼る年にしようと思います。
今年はパソコンに向かう時間を減らして、本を手に取り、バイクに乗る時間を歩く時間に変えよう。そう、無意味にたくさん歩き回ってみようと思います。

 子どもたちの心の声を聴く、自分の心の声を聴く、そんな感覚を大切に研ぎすませて、今年は気持ちよく生きよう。どうぞ今年もよろしくお願いします。  

Posted by Nami sensei at 13:18Nami先生のつぶやき