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2017年05月08日

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 皆さんは、普段生きていて「それは正しいのか、間違っているのか」と考える事はありますか。
私はほぼ毎日それを考えながら生きています。何かをジャッジしながら生きている、という訳ではなく別の言い方で言うと「理由を考えている」のです。例えば、あまりにも時間に追われそうになる時、立ち止まって「一体時間って何なんだ?」と考えるのです。一日が流れていく。お日様が上って下りていく。その間に勝手に時間を設定したのは人で、その誰かも分からない誰かさんが作った時間に、私はなぜ振り回されているのだろう…と。それはお金にも言える事で、誰かが何かの目的で作ったこの紙きれにとても価値を持たせて、振り回されている私って何なんだ?なーんて。
 実際この人間社会に生きているのですから、時間もお金も大切であることは変わりない。振り回される事にも慣れた。
でも、ここで大事なのはその価値観から一旦自分を引きはがしてみる事です。一旦立ち止まって、辺りを見回してみたり、遠くから引いてみたり…してみる、その行為です。

 先日我が子の留学説明会に行ってきました。正にその事が講演会で話されていて、大納得でした。英語を話せる様になりたいから、外国に行きたい。それでもいいけど、もったいない。私達が日本を飛び出して感じること、見るものはもっともっと違うこと。今まで「正しい」と信じ切ってきたことが、そうでもない世界があることを知る、ということです。特に日本人の私達は、誰かが決めたルールに従う事に心地良さと安心感を持っています。そこで自分の意思を持つこと、はみ出すことは、ここではとてもエネルギーが要ること。ちょっと違う事を言うと、「空気読めないの」とか「フツーそれ言わないでしょう」と言われてしまう怖さがあるのです。どこかの誰かさんが作った「フツー」ってなんだろう?と思ってしまうことも多々ありますが。

 私は海外生活を経験して、それまで自分自身が日本で経験していた生き難さの理由を知りました。海外では、あちこちの国から来た旅人達や現地の人達と交わり、多くの"Why?"を聴かれ続けました。日本にいる時は「私のことなんで、誰も興味ないだろうし…自分からしゃしゃりでて話すなんて」と思っていた自分自身のこと、国の事、家族のこと一つ一つを、丁寧に聴き、喜んでくれる人がたくさんいました。そして私自身もその人達の生い立ちから家族、いろんな話を聴きました。私達は全く違う国、環境、家族、教育の中で生きている。一緒じゃないってことは、怖いことじゃない。おかしなことじゃない。
むしろ自分の経験をシェアし合い、そこからまた成長出来る、と信じる人達がたくさんいたのです。

 帰ってきてからは、その風をあちこちで吹かせています。「自由に感じていいんだよ。自由に話していいよ。私が聴くから。」子どもたちがどんなにおかしいと言われる疑問を持っても、型破りなアイデアを出しても、それを聴き大いに心を動かします。この子たちは私よりも若くて未熟なのかも知れない。でも、私が持っていない考え方を持っている。疑問を、アイデアを持っている。じっくり耳を傾けると、実は私達に驚く程大きな学びをくれる宝箱なんです。

 日本人は素晴らしい。日本には世界に紹介したい良い所がいっぱいある。だから、それを発することが出来る人達を育てたい。黙って従って守って成長させてきた私達の力を、世界で困っている人達とシェアしたり、必要とする人に提供したり、もっと出来るはず。だから、自分の言うことを聴きたい人がいる、待っている人がいる、そういう気持ちを子どもたちにも持って欲しい。そして聴くこと、シェアすることで自分も成長出来る事を知って欲しい、そう思って教育に携わっています。
私は人に笑われることも、怖くない。「フツーじゃないこと」を怖がらなくていいんだよ、って風を吹かせたいのです。