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2021年03月02日

宿題について

 ハニラミの生徒さんご家族へ

 最初の体験の時にお話ししました通り、当教室の宿題の考え方は以下の通りです。

①宿題を毎週メモして帰ってもらいます

----語学を学ぶ時「インプット」は一番大切なことです。
宿題ではその週にしたことやそのクラスにとって必要であろうことを私が選んで「これを聴いておいでね」「ここを観ておいで」とお話ししています。英語教室に週に一度通うことで英語力はつきます。が、インプットとしたら英語教室だけで考えると年間42時間、英語に触れているのは一年間でほんの42時間(丸2日にもなりません)
 そこで、宿題として出しているものに触れれば触れる程、力は伸びる。これは当然のことなのです。でも、「ほら、先生もこう言ってる!宿題しなさーい!」は、ちょっとお待ちください
私が宿題をうるさく言わないのは、お子さん方に自立・自律の力を贈りたい、という理由があるからです。

②宿題はしてもしなくても良い。ボリュームは自分で決めてね

----宿題をしていないことを「忘れた」「先生に失礼」と違う意味でネガティブに言われる言葉を聞きますが、私は全く失礼だとも悪いことだとも思っていません。私がお伝えしているのは、「自分のために」「自分がよし、英語もっと伸ばしたい」と思ったら迷わず英語に触れておいで、といいます。むしろ英語に触れずに教室に来たならば、ここでしっかり聴いて帰ってねと声をかけます。
 でも同時に「自分の波を感じることは大事」とも伝えています。英語に全く興味がわかない時期ももちろんあるでしょう。そんな時におうちの方に言われるからイヤイヤしたところで、力はつかないどころか英語が嫌いになってしまいます。
そんな時は潔くしたいことを優先しましょう。それが子どもの特権なのですから。
 でも再度言っておきます。宿題をしようがしまいが、教室に来てくれるだけで力は少しずつでもつきます。「宿題をしていないから、今日はレッスンには行けない」なんてことは考えなくて大丈夫です。

③ということで、大人の出番

----大人の方には、宿題を「圧力で」「力づくで」させるのではなくて、ハニラミの理念に沿っていただけるととてもありがたいです。私の最大の目標は「子どもたちが英語を嫌いにならないこと」です。ここで、いろいろなご家庭から伺った方法をご紹介します。
みなさんに合う方法のタネになりましたら幸いです。こちらをヒントに各ご家庭でもお考えくださいね。

●朝起きて学校の準備をしながらDVDを流す
●食事の時間にCDを流す
●ゲームをする前にDVD/CDを聴く
●習い事の送迎の車の中でCDを聴く

 日頃のルーティーンの中に組み込むと、親子共無理矢理感がないかも知れませんね。
そんな時、おうちの方が「え?今なんていったと?」などと聴いてみて、お子さんが聴けていたら褒めてあげることも良い効果を産むでしょう。間違っても「ちゃんと出来ているか上から確認」などは反対はしないでください。「なんでわからんの???」などはご法度。
わかっていなかったら「今度先生に聞いとって〜お母さん/お父さんも知りたい」などと興味を残しつつ、適当に流してください。
 
 私が毎週していることは、「宿題をたくさんする、ちょっとだけする、のボリュームはみんなに任せるよ。みんなの生活を先生は知らないし、お腹が痛くなることもあるでしょ?」そう声をかけてから、宿題をしたらどんなに良いかを伝えます。
 それを聴いて翌週自分でしてくるお子さんもいますが、大抵は子どもですから、毎週楽しいことが優先されて英語に来てみて「あ!宿題!」ということがほとんどでしょう。
 おうちの方が優しく「英語の宿題したの?」と声をかけてくださったり、上手に日々のルーティーンの中に取り入れていただければ、それがお子さんの数年後にグンと活きます。

 でも一番していけないことは、「宿題をさせられなかった」とおうちの方がご自分を責めたり、お子さんを責めたりすることです。私の最大目標はお子さんやおうちの方が「英語を嫌いにならないこと」なのですから。

 教室生のおうちの方々のご相談はいつでも、どんなに小さなことでもお受けしています。
「楽しく」英語と触れるために、共に歩ませてください。  

2021年02月01日

「会話の時間がもったいない」

 あなたが英語を学んでいるのは、なぜですか。
英検を自分の資格として取りたい。自分の記録として1級にチャレンジしたい、そんな風にコツコツと試験などを取るのも素敵。それも外国語の楽しみ方の一つ。学びにはいろいろな目的や楽しみ方がありますね。
 いろいろな学びがある中で、私が自分の教室で特化しているのは「会話」です。レッスンの中でも会話を重視するし、それを公言しているので教室に来る人は「会話」目的の人。にも関わらず私が会話を始めると『先生、時間がもったいないです。早く授業しましょう』という生徒がいますが。

私は断言出来ます。

『私が今している会話自体が「授業」です』と。

 「時間がもったいない」「早く授業を」その言葉の意味や発する子の気持ちは、私世代の人(4-50代)ならすぐにわかるでしょう。かく言う私にだってわかります。勉強っていうのは、単語の読み方や使い方、公式や文法などの知識を先生に教えてもらってそれをノートに書いたりすることだ、って信じてきたから。そしてそれはある意味正解だから。
もし受ける側が「単語の読み方や使い方、公式や文法だけを知識として知りたい。」と思ってその場にいるのであれば、それは大正解。学びの場所選びは、その目的に依るのです。
でもその子はただ誰かに「おしゃべりは時間の無駄」と言われた通りをなぞってい言っているのかも知れないけれど。

 学校では通常毎時間「めあて」を掲げて授業に取り組むのが主流の様。
私はその「めあて」が学びの自由を奪う気がするから、こっそり自分の中に留めておくことにしているが。
 その心の中のゴールを目指して、雑談やちょっとした会話もそのゴール達成の一つの手段として授業に入れることをよくします。

 大勢の子に同じ時間内で同じだけの知識を入れるという目的の学校と、得た知識で会話の練習をしようという私の小さな英語教室ではもちろん取り組みも方法もまるで違って当然。私はここで会話の中から学ぶ世界を作っている。会話の練習は会話の中でしか出来ない。学校や自宅で入れてきた知識を、ここでは使おうよ。そうだとしたら、会話をしていることは「もったいない時間」なのでしょうか。否、これこそが授業の中心であり、あなたたちが得て帰るもの、そのもの。

 子どもたちにはもっともっと広い視野を持って欲しい。ただの会話から広がる世界を感じて欲しい。
英語教室がよく掲げている「視野を広げよう」は、「今すぐ世界に羽ばたこう」という意味ではなくて。
まだ行動範囲も狭く、会う人も話す人も影響を受ける人も限られている日々の中で、同じ教室に集まる子どもや学校の先生ともおうちの方ともまたちょっぴり違う大人の先生との会話を通して、子どもたちが自分の中に新しい風を送り込むことから始まるのです。
「そんな風に考えるんだな」「自分とは違うな」「面白そうだな」そんな気持ちが「感じる学び」。

 「人と話す時間がもったいない」と机にかじりついていると、もちろん視野は広がらないとは私の持論。
私は英語という言葉を通して、他愛もない会話を楽しみ、この小さな会話の中から広がる世界を学習者の皆さんに見せたいと思っています。正に「感じる」英語。私自身想定していなかったが、それは2020年度の大学入学共通テストの英語の試験に通じるものがありました。

 受験のために机とテキストに向き合うこともその人の時間の使い方だが、受験のもっと先を見据えた時「感じる」学びを得た人は、周りの人たちの知恵や自分の経験を活かしながら自分らしく人生を切り拓いていくことでしょう。

 子どもたちのすぐ手に届くところに多くの学びがあることを伝えていきたいのです。
学びの範囲を決められずに、自由に学べることを。  

2020年08月07日

8月6日





 私が小学校の校長先生だったら…今日のお話は何にしましょう。
そんな想像を膨らませています。

======= 8月6日 校長先生のお話 =======

 皆さん、おはようございます。突然ですが、みなさんの中にある「当たり前」はどうやって作られたか、知っていますか。誰か、知っている人、いるかな。
あ、そこ手が挙がってますね。先生方、マイクをその子にお願いします。

「みんながするから、まねをするんだと思います。」

 ありがとう。みんながするから、真似をして「当たり前」が出来るということですね。なるほどなるほど。うなずいている人もいますね。

 じゃ、今もし先生が「はい、今から戦争です!戦争をしてください!」って言ったら、それはみんなの「当たり前」になりますか。
 あ、首を振っている人もいますね。そうですか。今みんなの当たり前はきっと「戦争をしないこと」ですね。この75年、日本では戦争がありませんでしたから、みんなにとっても先生方にとってもおうちの方にとっても、戦争がないのが「当たり前」なんです。

 でもね。この「当たり前」を変えることは結構簡単なことなのかも知れません。
もし校長先生が今ここで「戦争をしますから、先生方準備をしてください」って言うと先生方は準備を始めるでしょう。そしてみんなにも「明日から戦争のために、これとこれとこれを準備しなさい」って言うでしょうね。みんなは家に帰っておうちの方に「明日から戦争だから早く準備しないと。これと、これが必要だから、買っておいてね。」って伝えるでしょう。みんな持ってくるから、自分だけ持って行かないわけにはいきません。
 そして翌日からは戦争の練習を始めます。全部の授業は中止。毎日毎日戦争のことを学んで、練習していきます。そうしている内に、皆さんの中で戦争は「当たり前」になるんです。いえ、皆さんだけではありません。先生方やおうちの方の中でも「戦争が当たり前」になるんです。
一人が言った言葉で数十人が動き、数百人を動かして数千人に影響を与えたら、それはもう立派な「当たり前」なんです。まさに「みんながそうするから、する」ということが「当たり前」ですね。

 先生が皆さんにお願いしたいことは一つです。
例えみんなが「偉い」と思う人がそれを言っても、例え自分以外のみんながそれをしていても、自分が動く前にはちゃんと調べたり考えたりして欲しいのです。自分にとって、それが正しいことかどうか、自分と話し合ってみてください。分からなければ調べてみてください。まだ誰も経験したことがないことであれば、想像してみてください。それが本当に正しいことか、を。

 そしてさっき手を上げてくれたお友達の様に、先生やおうちの方にみんなが考えたことを教えてください。時代はどんどん変わっていきます。先生やおうちの方が答えを知らないこともたくさんあります。そんな時は、みんなと話し合うことが必要です。みんなの考えを知ることで、新しい方法が生まれるからです。

 みんなが自分を大切にして、自分の声をしっかり聴き、自分と話し合い、そしてそれを周りの人たちと分け合ってくれることを願っています。  

2020年07月07日

ザ・ハニラミレッスン




 2月末にコロナウイルスが問題になり、3月から急遽舵を切った「教室の全レッスンのオンライン化」。
そして4ヶ月を経て、感動の対面レッスン。
対面レッスンに戻すその日に「大雨警報」が出て教室とオンラインを選べる様にしたので、教室とオンラインにクラスの約半分ずつの生徒がいるという形での授業。私にとってはここにきて新たな扉だったけど、やっぱり目の前に生徒がいるって強い。

 同じ空気の中にいて、その空気を揺らし合いながらコミュニケーションをとることの面白さを再び実感した。そして、「ぅお〜い!ソーシャルディスタンス〜!!!」と度々席に戻らせる程、授業中席を立ったり前に出て来たり集まったりしてしまう生徒たち。それぞれ言いたいことがあり、伝えたいことがある。そして人の意見を注意深く聞いてなるほど〜と納得したり、反応したり。正にその空気の中にどっぷり飛び込む授業を子どもたちが作ってくれていることを、改めて嬉しく思った。

 私は、日本にない教育の場を作りたかった。自由に学べる場所。
オンラインでは、一つ画面を挟んだ分お互いの心を掴むのが少し困難になることもあった。だからこそより用心深くなったり声を大きくしたり、オーバーアクションにしたり、と工夫する姿も良かったし、経験としては面白かった。それに英語の言葉を読んだり学んだりするだけなら、オンラインで十分だとも思った。
 でも私が普段したい「聞いてくれ!」「聞かせてくれ!」のやりとりはオンラインでは難しかった。
対面が戻ってきて、その言いたいことがたくさん子どもたちから戻ってきたのが嬉しい。たくさん考えて、たくさん聴いて、たくさん話そう。そうして心をスッキリさせる授業にしよう。
4ヶ月振りの対面レッスン。それぞれのリアクションが目の前に見えることの面白さ、嬉しさ。
画面の前でかしこまっていた子たちが爆発する。
 オンラインレッスンはプランを基に進める教育番組だったけど、対面は視聴者参加型バラエティ番組か。この心地よい疲れは久しぶり。
 
 英語の技術だけじゃなく、その言葉を通して自分をたくさん知ってもらいたい、人の考えを聴きたい、というマインドを育てていこう。それがハニラミのレッスンだ。  

2020年06月27日

私が大事にしていること

 英語支援で小学校に入った時、私の教室は開校2年目だった。
英語のレッスン中、やる気がないように見える生徒もいたし、私に何度も話しかける子もいる。
 今はわかる。その子たちの声を聞くことこそが私の仕事。私はその子たちの話を聞くために時間を使う。でもその当時はまだ半分くらい「英語を教えなくちゃ」「授業を進めなきゃ」と多少のプレッシャーもあったから、人知れず悩んでいた。

 小学校で100以上のクラスを見ていると、先生と生徒の関係性が見えてくる。ある時、先生が生徒をめちゃくちゃに叱って怒鳴りつけ、腕を掴んで教室から引っ張り出しているのを見た。胸が痛くなったが、そうやって怒鳴りつけるクラスは静かなことに気が付いた。そして他の先生方からの評価も高い。

 なるほど、と自分の教室でも一度だけその方法で指導してみた。
確かにシーンとなった。でもそれは私が求めていた生徒との関係ではなかった。その後、子どもたちとの関係を作り直すのが大変だった。
 私らしくないことをしてしまったな。
 今でもそれを思い出すと心がキューンとする。でもいつもそこにいて、私を信じていてくれた子どもたちのおかげで、今がある。失敗は怖いけれど、それを「あれがあったから」と成功に変えられるのも、失敗した人の特権。

 「思考停止」は私の理想とは対極にあるもの。そして生徒を恐怖で押さえ込んでいると、そこには明らかに防衛本能が働き、思考停止が生まれる。
だから、私の教室では根気よく話を聞く。子どもたちは口を開き始め、自分の頭で考え始める。

 正直、そういう子どもたちにとって英語を話すことのハードルはとても低くなる。それが私の狙い。自分で考えて言葉を発すること程楽しいことはない。自分で考える人は、人の考えも知りたくなる。
そういう知的な人たちを育てていきたい。
従順な人ではなく。  

2020年06月18日

オンラインフィナーレ月間




 3月から続いたオンラインレッスン。4ヵ月もの間画面の前で勇気を出して英語のレッスンに挑んでくれた皆さんと、残りの数週間を楽しく過ごすイベント開催中です。

 レッスン中に皆さんから取ったアンケートを元に、皆さんが行きたい国に画面上で一緒に旅するのです。
海外に行ったことのない皆さんも、あと10年、15年の間に必ず行くから練習しようね、って飛行機の乗り方から入国審査まで練習。皆さんが今まで学んできた言葉でしっかりカバー出来ることがわかりましたね。とっさの一言をサッと出すことが出来る子どもたちが多くて嬉しい驚きです。

 奮発して買ったグリーンバック(緑の背景)で先生がいろいろな国に行った様な演出。「先生、どうやって行ってるんですか〜」って目をキラキラさせる子どもたち。Where am I?! あちこちの写真を後ろに出すと、口々に国や場所の名前が!思ったよりも皆さん、いろいろな国の様子を知っていますね。どうやって知ったのか、聞くと「アニメで出てきた」とか「地図が好きで、地図を見ていたら載っていた」などなど。どんなものからも吸収して必要な時にサッとその知識を出せる子どもたちの姿、改めて感心します。机に座って勉強だけが学びや知識習得ではないということを、子どもたちが日々教えてくれています。

 フランスの凱旋門の入場料は13ユーロ。1ユーロ約120円だから、幾らかな?イタリアのトレビの泉で泳いじゃった人は罰金が450ユーロだったんだって。幾ら?そんな面白雑学も交えながら、社会?算数?強化の枠を超えて、英語を使って楽しく学んでいます。

 知るって楽しいね。学ぶって楽しいね。
「行ってみたい」「見てみたい」「食べてみたい」そんな言葉が飛び交う、幸せな学び場です。  

2020年06月03日

教える人のハニラミメソッド

 英語教師として、今まで経験上得た知識とノウハウを、どこかでどなたかに役立てていただけたらいいな、と漠然と思っていました。セミナーを開くか、本にまとめるか、などいろいろ考えつつ一向に自分の中で答えが見つからず、このコロナ禍で出来た時間でまずは人からいただいた質問に答える形で動画配信を始めました。
 どうやら、私は自分の指導方法が自分では何が良くて何が人と違うのか、わからない様でした。人から質問をいただくようになって、そのお答えをしている時に自分自身で「なるほど、私はそういうところに気を留めているんだな」と気付くことも多々あり。
この形はとても気に入っています。他の中学英文法の動画の様に動画に手は加えていませんので、動画をご覧にならなくても内容は伝わります。ラジオの様にお耳のお供にどうぞ。

 英語指導者のみなさまだけでなく、ご家庭でお子さんと一緒に英語を学んでみたい方々、英語を教える小学校の先生、また先生の卵さんたちにお役立ていただいている様で、嬉しいです。よろしければ、ゆるりとどうぞ。
ご質問も動画についているリンク「質問箱かインスタグラム」にて随時受付中です。

https://note.com/namio_educator/m/m3a24ea8887d8  

2020年05月19日

コロナ禍の"オンラインMoms' Cafe" にて子育てを語る




 さて、この非常時の「心の寄り添い」をテーマにしてきた私のオンライン企画も最後となった。最後はこのコロナ禍で一番疲れ果てているであろう大人のための企画。
 私は普段、数ヶ月に一度教室をカフェに見立てて時間の合う保護者が集まり、おしゃべりをする「Moms' Cafe」というものを開催しているが、そのオンラインバージョン。ただ、オンラインは抵抗がある方が多いことを知っていたので「カメラ・マイクオフで大丈夫。チャット機能でご意見ご感想をお送りください」とした。

 あらかじめいただいていたトピックは「子どもを放牧する様に育てるのが良い、と本に書いてあったので実践してみたが、子どものスイッチが入ったかどうかはわからず。結局元の自分に戻ってしまう。いつまで見守るのが良いのか」というもの。
 私自身は3人の子どもたちが全員中学生以上、と大きいのである程度の子育ての心配事は過ぎ去ったのだが、もしこれが10年前に起こっていたらと想像すると、それだけでもその大変さがわかる。きっと不安で押しつぶされそうになっているだろう。そして、いろいろな情報を見ては自己嫌悪に陥り、更に不安になっていただろう。
 
 ほぼ子育て卒業の私が今、こうして皆さんのお話を伺うことは「他人事感」がないか?と自問もしてみたけれど、逆にだからこそ笑ってお話を聞けるだろうとも思った。子育て真っ只中の時は、答えが欲しい。今はこうだけど、将来はきっと大丈夫だという保証が欲しい。その気持ちが痛いほどわかるからこそ、私は私の経験を活かすことが出来ると思ったので、皆さんからのご意見も伺いながら、私は私の経験上の話をしてみた。

 子どものスイッチがいつ入るか、の話だが。ではそのスイッチが入った状態がどうであったら、自分は満足するんだろう、と考えてみることは面白い。実際おうちの方も先生も「自分が言う通りにしたらOK」という、とても曖昧な価値観の中で子どもと向き合ってしまいがち。でもその子にとっては何がスイッチなのか。そこを考えてみると面白い。もっと言うと、それを親子で話し合ってみるのは楽しいと思う。そこでもし「子どもの心配をしていることの目的」が見えたらその目的に沿って動くことが出来たら良い。
 例えば掃除して欲しい理由は、汚い部屋で過ごすと病気になるからか、それとも掃除をするという習慣をつけて欲しいからか。そして掃除をすること、宿題をすること、午前中は家にいて欲しいこと、「お手伝いない?」と声をかけてくれること…など、自分が子どもに言っていることや言いたいことをリストアップしてみた時に、その数の多さを確認してみたら良いだろう。
そして、一体どれが子どものために本当に必要と思うか、その上位1つか2つを話し合いながら習慣を作ってみれば良い。
 ついつい勢いで思いつくまま指示を出してしまいがちだが、届いていないと思うならば、実際それは自分が口にしているだけで本当に伝えたいことではないのかも知れない。「親だから言わなきゃ」という義務感だから伝わらかも知れないのだ。
 一方、もし自分がその子の中に入ってこの状況を見てみたら、のんびりしたい時に否応無く上から5つも6つも指令が下る環境は耐えられないだろう。だから、1つか2つ。子どもに選ばせてみても面白いと思う。子どもはどんなに嫌な環境でも逃げられないのだ。家と学校、習い事以外の場所に居場所を探すこと自体が大変なのだ。
 これを対話の機会にしてみたら親子の上下関係がググッと変わって、子どもたちに主体性が生まれることだろう。

 子どもたち同様、私たち自身も自分のハードルを下げることが大切。
「指令すること」が目的になると、自分もしんどい。だから「伝えること」「子どもと一緒に決めること」など目的を再確認してから、実行みたらその目的は達成しやすい。

 子育て中に取り入れる情報程、武器にも毒にもなるものはない。
先輩や専門家の言うことに「なるほど!」と思いながら「でも自分には出来ない」と自己嫌悪の毒地獄へ落ちていく。だからこそ、私は自分の失敗談も話したいし同じ自己嫌悪や悩みの中にいた時の話もしたい。そして今言えることを伝えたい。

「あの時に大成功の実感があったら、きっと親子共成長はなかったと思う」

ということを。これでいいのか、と思いながらも少しずつ少しずつ。本当に3歩進んで2歩下がり、立ち止まってしゃがみこんだりしながら、気がついたら後ろに道が出来ていた。そんな子育て。でも子どもたちの手を離すことはしない。心配したり不安になったりするのは、想いがあるから。だから、悩むことは大切なこと。悩んだり不安になる自分を責めないで欲しい。

 そもそも子育てに正解不正解はなく、見る人によってその価値が変わる。気をつけなければいけないのは「自分の視点を持つこと」。人の価値に振り回されていると自分を見失い、自分の価値を見失う。それが一番怖いことであり、陥りがちなこと。今思い返しても、私が一番辛かったのは人の意見に振り回されていた時だと思う。

 例えば今、我が子の髪の色は黒ではない。
これを「子育て失敗だ」と言う人がいたら私はどうするだろう。きっと何も感じない。それがその人の価値観であり、私とは違う価値観をお持ちだな、と思うだけ。
 まだ子どもが幼かった時の、人の意見に振り回される私のままだったら、私は自分が失敗したと思って凹むかも知れない。もしかすると「いや、この子は実はいい子で」なんて変な言い訳をしてしまうか知れない。
 でも、この人はこの人の価値観で生きていて、私は私。一番大切なのは我が子もそうやって人の価値観を認めながら自分の価値観も大事にしながら生きていってくれること。だから私自身は幸せなんです。

「幸せな子」を育てるのではなく、
どんな境遇におかれても
「幸せになれる子」を育てたい。


これは皇后であった美智子さんの子育て論だけれど、この言葉を私自身もいつも心に留めている。幸せの価値なんて人それぞれ。時代によっても変わってくる。「自分の幸せ」を知っている人が一番幸せなんだと思う。

 そんなメッセージをこれからも送っていきたい。
この情報化社会だからこそ、誰かの「幸せ」ではなく目の前の我が子にとっての「幸せ」を考えていたい。


  

2020年05月18日

英語はツール。マインドを整えよ。



 息子が、コンビニで働いていたネパールの方と話したと言っていた。日本語で気さくに話しかけてきた、と。息子の友達が英語で話しかけたら、英語も普通に話していたらしい。
 母語と日本語と英語と。語学力もさることながら、外国で母語以外の言葉で働きながら人と会話をしようとする姿勢がとても素敵だと思った。英語さえ話せたらなんとかなる、と思っている人に伝えたいことだった。
 よく言われることだけど、言葉が話せるなんて自慢にならない。むしろ、それを使って良い感じの人間関係を作ること、またその努力をすることに焦点を当てて英語指導をしている。そこは絶対にブレてはいけないと思っている。

 今後子どもたちが一緒に働いていくのは、間違いなくこうした高い意識を持って学んだ海外の若者たち。
 英語なんて所詮ツール。日本語だってどんなに上手に話せても、人に引け目を感じて人を攻撃ばかりしたくなる時や、劣等感いっぱいで人がみんな自分より素晴らしく見える時、人と上手にコミュニケーションを取るのは難しい。

 私が感じているのは、そこ。

 人と比べたり比べられたり、「あなたはダメね」って言われ続けたりしたら、卑屈になる。自分のことを愛せなくなる。
 どんな性質もどんな困りごとも自分の愛すべき部分だって教えてくれるのは、身近な大人だったり友達だったりするんじゃないかな。
最近読んだ本に、「赤ちゃんの時から自己嫌悪の人なんていない」って書いてあったけど、その赤ちゃんが成長する過程で「自己嫌悪」に落としちゃうのは周りなんだよね。

 今子どもにプレッシャーを与える大人は、自分自身がどこかで自己嫌悪に陥って、そのまま大きくなっていたりする。
だから、ここで止めなくちゃ。本当にそう思う。
 
 英語教育を考えた時、何を大事にするかを私たちは今一度立ち止まって考える必要があると思う。  

2020年03月13日

オンラインレッスンでわかった理想のレッスン



 このところの新型コロナウイルス騒動で、子どもが集まる教室でのレッスンが出来なくなった。出来なくなったと言うと受動的だが、私はフリーの教室運営者。誰かの決断に従うのではなく、自分でレッスンをするのかどうか選ぶことが出来る。そこで他国が取っていた「人との接触を断ってウイルスの広がりを抑えた」という話を支持して私も出来るだけ子どもたちを危険に晒さずに英語のレッスンをすることを考えた。
 しかし世間では学校の休校が決まって実施するまでたったの3日。私もそのタイミングでの決断を迫られた。

 そこで昨年からなんとなく視野に入れていた「オンラインレッスン」が浮かんだ。大人向けには既に始めていたが、子どもたち相手はなかなかチャレンジ。私は対面にこだわってレッスンをしてきたので、これは私にとって大きなチャレンジだった。
 でも来週もレッスンは容赦無く続く。私自身もそのまま続けたい。そう考えている内に"Leap before you look, "(見る前に跳べ)と私は自然に教室の全生徒に向けてメッセージをしたためていた。そしてその週末の内に教室生のマイクやカメラテストをオンラインで行い、月曜日からレッスンを始めた。

 そうやって始まったオンラインレッスン。教室での楽しさを画面越しにどう再現できるか、又オンラインだからこそできる期間限定の楽しみもあるのではないか。「見る前に跳べ」は、いつも私のスタイル。まずはやってみよう。そこから一緒に答えを見つけていこう!子どもたちと一緒にレッスンを作るスタイルだ。
 画面にポツリポツリと現れた子どもたちの顔は緊張気味に笑っているので、「リラーックス」と声をかける。「急におやすみになっちゃったけど、どう?」なんていつものように始める。画面越しに子どもたち同士も再開を喜んで、ほんの前の週まで一緒に教室でレッスンをしていたのに、とても懐かしい気持ちになって "Hello!" "Hi!" などと懐かしそうに声を掛け合っている。不思議とこのメンバーが集まったら、英語モードが作動する。習慣は侮れない
 レッスンは楽しく続く。一番の驚きは、私が自由自在に子どもたちのマイクをミュート出来るということ。自分のペースで自分が進めたいようにレッスンを進めることが出来るのだ。全体がざわ付けば、自分のマイクだけを生かしてレッスンが出来る。「なんという素晴らしい環境!これだったらもう世界のどこにいても、私英語のレッスンが出来るわ。今度から全クラスオンラインにしてしまおうかしら」そんなことを思った瞬間、強烈な違和感が私を捉える。

 私が自分の英語教室を始めたのは12年前。その後小学校で教えたりもしたが、自分の教室があることはいつもお守りみたいに私の心の平安だった。それは私がそこに「自分の理想の教育現場」を作ることが出来たからだ。
 敏感過ぎる程人の心を感じ取ってしまう私の特性を最大限に生かさなきゃ。子どもたち一人一人の心に真っ正面から向き合い、その子にとって必要だと思う対応をする。みんなが一緒に笑い、安心して学ぶことが出来る場所を作る。生徒の一言でレッスンの内容がググッと変わることもある。みんながその時学びたいことを英語という言葉に載せて自由に繋いでいく場所にしよう。決して発言をミュートして私のしたい方向にだけ動かす教室なんかではない。

 そう思うとストンと心が落ち着いた。私がしたかったのは、クラス8人が自分が疑問に持ったことやみんなに知らせたいことを口にして、人にそれを受け止めてもらう経験が出来る教室。確かにミュート機能は便利だし、シーンと静まり返った教室が好きな先生もいるだろう。ただ私の場合はその正反対。みんなが安心して発言出来る環境を常に意識しているので、ミュートするなんてもったいないのだ。

 この非常事態、オンラインという対応で一緒に新たな扉を開いた。閉じてしまった扉を嘆くのではなく、開いた扉があると信じてその扉を探す面白さを一緒に体験することが出来て良かった。そして何よりも私の「子どもたちに安全に学んでほしい」という気持ちと、それに賛同してくださり、家庭の中にオンラインレッスンをお子さんが受講出来るようにと短期間で設定をしてくださったおうちの方々に、心からの感謝を送りたい。
 子どもたちはそんな温かいチームに支えられ、楽しく学んでまっすぐ伸びている。
私は、オンラインでも一人一人の言いたいことを救う術を試行錯誤で学び中。それもまた一興なのだ。与えられた環境の中でもどうにかみんなで楽しむ工夫をする姿を子どもたちに見せたい。こんな空前絶後のピンチの中では、誰も出来ることなんて限られている。でも不恰好でもいい、諦めずに試行錯誤するクリエイティヴな大人の姿は、きっと子どもたちの希望に繋がると信じている。