2019年04月17日

死ね



 英語教室で週に一度子どもたちと会っていると、一週間の内に流行りの歌や遊び、言葉が変わるその早さに驚くことが多々ある。
その中で、先週までは出てこなかった言葉が教室の中で飛び交った。

 「死ね」

 もちろん笑いながら、その言葉にはふざけ合う仲間同士だから分かり合う親しみの様な意味合いがあることも分かる。
ただ、私自身その言葉に免疫がないのだ。その言葉を聞くと、その意味が強烈に私に届いてくる。

 「ちょっと聞いて」と話をする。
私が子どもの頃、私の周りには「死ね」という言葉を使う人がいなかったこと、6年生の時に都会から転校してきた男の子に教室で「死ね」と言われて酷く落ち込んだことを話した。
 「あのね、もう33年も前のことなのに、その子の名前は未だに忘れられないのよ。」
 「え?なんていう名前ですか」
私はその名前を答えた。もちろん未だに恨んでいるとか、そういう意味ではない。ただその子とはほとんど話したこともないのに、その言葉と一緒にその子のフルネームと顔が浮かんで来てしまうのは、当時の私にとってその言葉を向けられたことが、相当の衝撃だったことを表しているということは間違いない。

 名前を語って、もう33年が経つことを話した。
先生にとって「死ね」はその人が私に「死んで欲しい」と思っているのだ、と届く。未だに笑っては聞けない言葉。

 だからね、先生の前で言わないで欲しい。そして、もしかしたら自分の周りにそういう人がいるかも知れない、ってことを覚えておいて欲しい。
もちろんあなたが本気で友達に「死んで欲しい」と言ってるなんて思ってない。でもね、言葉はそうやって自分が思わない形で人に届くことがあるの。

 その後、もう一週間学校で言い続けて口癖になってしまっているはずの言葉を、その男の子は一度も教室で使わなかった。よほど心がけてくれたのだと思う。その思いやりを信じて語って良かったと思った。

 相手が子どもだからと、ルールで縛ったり、禁じたりするのは簡単。
でも時間を使って本気で腹を割って話してみると、何か温かいものが生まれてくるのだということを、また子どもたちが教えてくれた。
ルールは脆い。でも理解はずっとその子の中で栄養になると思う。  

2019年04月16日

私は頭が悪いから

 


 子どもたちから聞く自分の評価で一番多いのは、この言葉です。
「私は頭が悪いから」
子どもは生まれつき自分のことを「頭が悪い」と認識しているのでしょうか。
それとも、誰かが彼らに「君は頭が悪い」と思い込ませたのでしょうか。

 もちろん答えは後者です。そんな漠然とした解釈が自然発生的に出てくる訳が無いからです。誰が、どんな方法でそれを植えつけたのかは分かりませんが、どこかの段階で子どもたちは「自分は頭が悪い」という最初の自己否定の言葉に出合うのです。

 ある生徒が教室の帰り際、聞き慣れたこの言葉を言っていたので、「なぜそう思うの」と聞くと「お母さんがそう言った」と。
「先生はそう思わないけど。○○は頭がいいと思うよ。だっていつも先生が気づかない様なことに気づくじゃない。先生すごいって思うわ。」と言うと、その子の目がキラリと光った。
「もう一回言って」と言わんばかりに「え、今何ていったの。」
もう一度同じ言葉を繰り返す。その子の顔が輝き出す。
「へぇー、私、頭がいいのかな」
その顔を見ながら涙がこぼれそうになるのを隠しながら「そう、頭いいの」と更に繰り返す。
 そのキラキラした顔のまま「先生、See you!!」とスキップしながら帰っていく後ろ姿を見送りながら、その曖昧な言葉がこの小さな子どもたちの中で大きく膨らんで、子どもたちが伸びるのを邪魔していることを悲しく思った。

 言葉一つで人はどこまでも飛んでいける。言葉一つで人はどこまでも深く落ち込むことがある。

 言葉を教える立場として、改めて言葉の持つ力の大きさを感じた。
そして、子どもだけでなく多くの方に言葉のプラスの力をもっと伝えたいと思った。  

2019年04月10日

今年も大成功!大発表会レポート




 当教室「ハニーアンドラミーイングリッシュクラブ」の発表会は、みんなでホールを貸し切って、保護者の皆さんや大事なお友達を招待して、思いっきり英語で楽しむ自分を見てもらう会。

 各クラス、年が明けた頃からみんなで話し合って何をするか決めます。今まで習った英語を使って、何が出来るかな。そこでみんなで決めたことを、企画、練習して当日に臨みます。何をしたら面白いだろう。話し合いの段階から皆笑顔です。大きなホールで人前に立つことを、いかにワクワクに変えるか、そこが私のチャレンジ。子どもたちにとってとてつもなく高いハードルを、いかに飛びやすくするか。ハニラミの理念「自分でハードルの高さを決めて楽しく飛ぶ」それぞれのゴールはそれぞれのもの。みんな同じことをする必要はないのです。自分たちがどこまで頑張ることが出来るか、を綿密に相談します。

①幼児クラス(年中)
 The Hello Songを元気に歌ってから、自己紹介。 Susan先生と一緒にたくさん練習して、カッコよく言えました。

②幼児クラス(年長)
 クラスのみんなの強い希望により、劇をしました。大きなかぶをオリジナルストーリーに変えて、"Let's Help Nami sensei" 
お散歩中に穴に落っこちてしまったNami先生の"Help me!!"という声を聞きつけて集まってきた皆さんが、魔法や忍術を使いながら、Nami先生を助けてくれますよ。大きな声でセリフを言いながら、上手に表現できました。

③小学生低学年1年目クラス
 習いたてのフォニックスを使って、みんなでアルファベットを使って単語を作るチャレンジです。
バッチリ9つの単語を作ることが出来ました♪練習の時よりも何倍も大きな声が出ていて、嬉しかったな。

④小学生高学年1年目クラス
 超・自己紹介。英語を習いたての7月に初めて人の前で自己紹介をしましたが、更に内容を増やしての再挑戦。
今度は堂々と、しかも自己紹介後にNami先生からのインタビューもありましたが、自然な英語で答えることが出来ました。堂々としてかっこよかったね。

⑤小学生低学年2年目クラス
 クイズチャレンジ!
自分の作った質問が、会場の約100名のお客様の何人に"Yes!"と答えてもらえるか、最初に予想をします。
その予想が当たるかどうか?実際会場の皆さんに問いかけます。さぁ、何人手が上がったかな?クラス全員が助け合って数を数えてくれますよ。
 ここでは面白い効果がありました。お友達の予想が当たるように、みんな優しい数え方をしていました。クラスの結束が更に深まった発表でした。
しっかり大きな声でお客さんに語りかけることができました。

④小学生高学年2年目クラス
 劇)狼と四匹の子ヤギ
英語を習い始めて2年学んだ皆さんの大チャレンジ!
劇は表現が大切。対話もあるので、お互いの息も大事。
ユーモアを交えた、楽しい劇になりました。

⑤小学生中学年3年目クラス
 ザ・クイズショー
自分で作った三択問題を出しますが、最初の自己紹介から最後一つ一つ会場のお客さんに問いかけ、手を挙げてもらうところまでを全部自分でします。
会場と対話するMCの難しさを体験してもらいましたが、本当に堂々として立派なMCっぷりでした。

⑥小学生高学年4年目クラス
 劇)金の斧銀の斧
少人数のクラスで、3名ですが、登場人物の少ない劇を選んで挑戦しました。掛け合いや動き、感情の動きが多い劇ですが、その世界を存分に表現出来ました。

⑦6年生スピーチ
 毎年6年生は自作の文(自分の夢か、好きなもの)を作って覚えて、演台を使って本格的に発表をします。
今年も3名の発表者。私とのお付き合いも5年から9年の皆さん。発音も声の大きさも、貫禄も落ち着きっぷりも、会場を堂々と見つめながらのスピーチも、本当に堂々として素晴らしかったです。


⑧エッグハント
 毎年頑張ったみんなに、お楽しみ企画。
会場全体の大人の方々に、秘密の袋を配っている間にみんなは卵を探す時のキーフレーズの練習。ただ言うだけじゃなくて、相手に会った時、卵をもらった時、去る時のご挨拶もしっかり練習。

お家の方が手にされた袋の中には卵が数個。

ルールは、自分の家族以外の方に尋ねること。Ready ...Go!
教室生はもちろん、会場に集まったお友達やご兄弟、子どもたちがみんな会場に散らばって行きます。卵欲しさに、知らない人にもどんどん大きな声で積極的に話しかけていく姿、頼もしくステージから見守っていました。
 今年もたくさん卵をもらって、ホクホク笑顔。その卵の数は、みんなが話しかけた人の数以上。よく頑張ったね。卵の中に入っているのは美味しいキャンディーや消しゴム。皆さん大事に大事に持ち帰っていましたね。

 最後のお話で、英語を習わせてもらっていることはお家の方の判断。お家の方が「うちの子どもに英語力をプレゼントしたい」という想いで通わせてくださっていること。それには、感謝をしなければならないこと。そしてその感謝を頑張りや言葉で伝えて欲しい、と言いました。
そしてお家の方には、今日このステージに立って発表することが本人の中では最高の出来栄え。「練習の方がよかった」や「もっと〜すれば」と言う言葉は一切言わないで、ただ大きく褒めてあげてください、とお伝えしました。大好きなお家の方からの賞賛があって、この発表会チャレンジは完成なんです。
ハニラミはいつもお家の方と共にお子さんのご成長に関わっている気持ちです。この発表会がお子さんの自信になりますように、どうぞ惜しみない賞賛をお願いします。

 2019年、教室10回目の発表会は100名を超える会場の皆さんに見守られて、無事終了しました。運営を支えてくださったボランティアスタッフの皆さん、卒業生ボランティアに心から感謝します。  

2019年03月03日

それぞれの持ち味



 私は人の能力をを見る力があり、またそれを言葉にして伝えるのがとても得意です。



 この持ち味に気付かずにずっと生きてきた私は、人の感情や雰囲気が視覚的に見える自分の特性に、とても苦しめられてきました。

いじめられている子が感じる前に、その子の中にある悲しみの感情を受け取ってしまうし、「あの子を仲間はずれにしよう」と企てている人たちが行動に移す前にわかってしまう。先生一人一人の機嫌も手に取るようにわかるし、私自身に向けられた怒りでなくても、負の感情を強く感じてしまう私には苦しい時間が多かったことを覚えています。毎朝、仲良しの子の機嫌が今日はよかったらいいな、と願いながら学校に行っていました。



 正に人の感情に振り回される子ども時代だったのです。そこにメリットは全くなく、でも他の人も同じに違いないと信じていたので、みんな頑張って生きているんだから、と自分をただ奮い立たせ続けて生きてきました。



 さて、生まれて40年以上経った今、私は母親として指導者として自分の大半の時間を過ごしています。人の感情を吸い込んでしまうのに、なぜ敢えてこれ程までに人にまみれる生活を選んでしまったのか、自分ではわからないままに引き寄せられてきましたが、やっと自分の才能を活かすことが出来ているのだと気付きました。

 子どもを育ててみて、また教育者になってみて、大人がよく子どもに言って聞かせる「人の気持ちになって」とか「相手の立場に立って」ということが、他の人にとって意外と難しいことなのだと気付いたのです。


 私にとってそのハードルはとても低く、相手の気持ちになって涙を流すことも度々あります。子どもたちが何も言わなくても、その子どもたちの気持ちや悩みを感じる私に、子どもたちが次第に集まる様になってきました。



 人の気持ちが視覚的に見える、というと大げさですしオーラの様なものが見えるのか、といわれると私はそんな非科学的な言い方はあまり好みませんが。少なくとも学校勤務の時は、毎日授業をするクラス一つ一つに入った瞬間に、そのクラスのその日の雰囲気が見えていました。そこでその日のレッスンプランを少し変えることもありました。今、自分のレッスンでも教室に入ってきた瞬間に、子どもたち一人一人のその日のムードがわかります。

 何も状況をコントロール出来ない子ども時代を過ごし、大人になって変わったのは、大人だとその特性を能力として活かせる、というところでした。選択の余地なく与えられ続ける子ども時代から、自分で選べる場面が格段に増えたことは、何よりの救いでした。



 私は教育の中でも「出来ないことを指摘する」のではなく「励ます」方を選びました。どんなに大人を困らせる子でも絶対何か良いものを持っていて、それに本人も周りも気付いていないだけなのだ、という考えの下本人やお家の方にその子の良いところを見つけて伝える活動を始めました。



 そこで驚いたのは、そこからの本人の伸びと、お家の方の喜びの声。気付かないことに気付いてくれた、と感謝の声をたくさんいただきました。
でも何よりも、今まで負の感情をたくさん吸い込んできた私は、こうして人の幸せや希望にあふれた感情に触れることで、とても生きやすくなったのです。



 そう思うと、世の中にはいかに負の感情が多いことでしょうか。不安やねたみ、自信の無さや憎しみ、でも自分に可能性を見出した人は強いです。自分を信じて生きていくことは、希望そのもの。私は今自分がとことん迷惑してきた自分の特性を、自分だけでなく周りの人も幸せになる能力として認めることが出来ました。



 冒頭の言葉は、過去の負の感情にまみれた私からは出てこなかった言葉です。しかし周りの人たちとの関わりの中で、自分の能力を見出し自分を認められたからこそ、今こうして堂々と皆さんにお伝え出来るのです。



 もう一度言います。人は必ず宝物を持っています。その能力で自分も周りの人も幸せになることが出来ます。

 出来ないことばかりに注目してしまう社会ですが、出来ないことがあるのならば、その反対だって必ずあります。



 自分に出来ること。
 したいこと。好きなこと。



 それに目を向けていきませんか。一緒に探しましょう。
あなたの辛さは、きっとあなただけでなく、誰かの喜びに変わります。
   

2019年02月09日

おっと、失言!




 私のブログも、ついに政治ネタデビュー!
…なんていうのは、冗談で、今日のお話は「言葉」について。

 度々報道される政治家の失言。差別発言や偏った考え方による発言は、公の場で話をする機会のある私にとって、かなり衝撃です。
なぜなら、人の前に出てお話をするということは、本当に大きな事。影響力も大きいので、想像力をたくさん使ってどんな人にどんな風に届くかをしっかり考えてから話すべきなのです。そして、人を見下す心や自分さえよければ、という気持ちは幾ら演説で上手に国民の心を掴んでも、フッと気を抜いた瞬間に出てしまうものなのです。
 子どもの頃、家で行儀悪くして親に注意され、「大丈夫、大丈夫、外ではせんから!」と言いつつ、結局ちょっと気を抜いた拍子に外でもその習慣が出てしまって赤っ恥、そんな経験を思い出します。いくらよそいきの自分になってみても、その人の中にあるものはちょっとした拍子に出てしまうのです。

 小学校の外国語活動について学ぶ時に、研修の中で言われた言葉があります。
「小学校で仕事をするならば、小学校で使われる言葉は知っておくべき」
「あの、なんとか学級とやらが…」なんていういい加減な言葉は絶対に絶対に口にするな、ということでした。そこに私の本気度の無さが出てしまうのです。
 心から納得でした。プロとして当然だと思いました。その専門用語はもとより、内容や歴史、問題点まで知ってこそ、現場の方々に認めてもらえるのです。

 私は英語ではありますが言葉を教える立場なので、日本語を含む「言葉」をより大切にすることを心がけ続けてきました。
「言葉」はコミュニケーションツールというのは散々言われていますが、コミュニケーションと言っても「良い」コミュニケーションのためのものだと思うのです。人を励まし、お互いに元気を与え合うことが出来る様なコミュニケーションを目指したいのです。

 私は自分の「言葉」で人の心に寄り添うことが出来たら、「言葉」の教師としては最高だと思っています。それには嘘があってはいけないのです。
相手を常に尊敬し、その尊敬の気持ちを相手に伝える気持ちで教壇に立つ毎日です。

 そんな中、大きな影響力を持つ人たちの心無い、プロ意識にかける言葉を見て、少しガッカリしながらも、自分の仕事の大切さを思い知らされています。  

2019年01月30日

チャンスが見えますか



 ハニラミは、英検の準会場です。
準会場は大手の「うちは英検○○級を○人出しました!」という広告を打っているところならば良いこともあるでしょうが、ぶっちゃけて言うと実は運営はとても大変な上、特に何もお得ではないのです。

 でも私が準会場をしているのには、一つの大きな理由があります。
 3年前に教室を大きくした時、保護者面談の中で「英検を受けさせたいけど、部活を休めない」等のお話を伺いました。英検がこれだけ大事だと言われていても、学校の先生方の温度差は大きく、英語に関心のない先生方もいらっしゃるのでしょう。いろいろ言いたいこともありましたが、私は文句をいう前に楽しくなるアイデアを!の精神なので、よし、教室で夜英検やっちゃえ〜!と部活が終わってから来られる時間に設定しました。特に英語を今まで頑張ってきたけど部活で受験が難しい3級と準2級を中心に夜開催にしています。

 英検に限らず、私たちは生きている中でたくさんのチャンスに囲まれています。それを掴む勇気があるか、掴む意欲があるか、また自分にとって掴むタイミングなのか、が違うだけで、そこに散らばっているチャンスの数は同じだと思います。そしてどのチャンスも、ばら撒かれた種のように、そこから何が生まれてくるか、何を育てられるかは未知なのです。チャンスを掴んで、それから大きな花を咲かせる子どもたちもたくさん見てきました。そのサポートも励ましも、そしてチャンスを作り出すこともしてきました。英検準会場は私にとって「チャンスを作るチャンス」だったので、迷わず掴んだ訳です。

 チャンスはリフトの様に次々に目の前に流れてくるのです。もしかすると、目の前の友達が自分が迷っている間にそこにヒョイっと乗り込んでしまうかも知れません。でもその苦い経験は、また次のチャンスが巡って来た時に、あなたの背中を押してくれる力に変わるでしょう。

 焦らず、自分のタイミングで。でも、いつかその時がきたら「エイッ」とそのリフトに乗り込んで、今までと違う世界を見てみましょう。
覚えておいてください。あなただけにチャンスが回って来ないのではありません。よく見て見たら、目の前にチャンスは散らばっています。
掴む勇気さえあれば。
 
 チャンスは、いろいろな形をしています。
一見ピンチに見えることも、実はチャンスなのかも知れませんよ。  

2019年01月27日

タイミング



 英検の季節、いろいろな級に挑む子どもたちとそのおうちの方々から、多くのご相談が寄せられる。
生徒からは「全然やる気が出ません」
おうちの方からは「うちの子、英検の準備全くしないんです」

 正直とても難しいと思っている。
私の中で「それはその人のタイミングではないのだろうな」と思うから。
 心構えとしては、本人は英検当日までそのタイミングがくるかもしれないから、ビッグウェーブが来たら飛び乗る準備を。そしてご家族はただそれを見守る覚悟を。それが一番のアドバイス。

 親はお金を払っているから歯がゆい。私も試験前にのんびりしている我が子を見て腹を立てたり、言い合ったりしたことがある。でもそこから何か生まれたことはない。親が何と言おうと、本人がどうしても必要になったら机に向かっているし、そうでなければ悶々としているだけ。どのテストにも共通して言えることだが、親は飽くまでも試験を受ける本人とは別の人であるということを意識しておくと良い。

 「よーし、やってやるぞ」とタイミングが来た時に波に乗ることが出来るのは本人だけで、親は一緒に乗ることも出来なければ先に乗って手を差し伸べることも出来ないのだ。だから、親が「ほら、今がタイミングよ!」と言ったところで、それが本人のタイミングと合うかどうかはわからない。

 でも私は親がある程度自分の気持ちを伝えることはいいことだと思う。それは、もしその時子どもがその言葉を受け取るタイミングでなくても、その言葉はその子の中に留まり、いつか波が来た時に乗るきっかけになり得るから。例えその時に言い争いになっても、親の正直な気持ちや想いを知ることは悪いことではない。悪いのは、子どもを罵ったり、悪い言葉で否定したりすることであって、それは逆に波に乗る勇気を子どもから奪ってしまう。大事なのは「親の気持ち」を正直に伝えることだ。

 さて、タイミングに関して。指導者として、また一母親として、この「タイミング」について考える様になったら、とても気が楽になった。どっしり構えていられるから。少し落ち着いて見てみると、子どもがソワソワしているのがわかる。波が来ないことに焦りを覚える。テストで合格したいのに、どうしてもやる気が出ない。理解が難しいかも知れないが、その苦しみと不安は子どもたちにとって怖くて大きなもの
いざ波が来た時にヒョイとその波に乗るために、親に出来ることはその子が勇気を持てる様に励ますこと。支えること。再度言うが、罵倒したり自信をなくすほど叩きのめすことではない。

 自分自身を考えても、「今しようと思っていたのに」とか「いつも気になっていることだけど、なかなかする気になれない」ことに対して、咎められたりキツく言われたりしたら、「今度しよう」という気持ちすら無くなってしまうだろう。なので、そのタイミングを一緒に待って、動き出したらそっと応援してあげよう。

 英検に関して言えば、英検に落ちて一番残念なのは、当然子ども自身。合格して一番メリットがあるのも子ども自身。自分を助けてくれるものだと分かっているなら、トライを続けていつか大きな波に乗るだろう。そう信じて励まし見守るのが、一番の近道だと思う。

  自分で波に乗る力。それは学力と同じくらい、いやそれ以上にその子の人生を支える大切な力となるだろう。

 

  

2019年01月10日

攻める




 英語教室、新年最初の週が始まりました。
2週間の冬休み、英語に触れていなかったであろう皆さんですが、教室に来るとスイッチが入るみたいですね。入り口でHello, how are you? といつもの挨拶。教室の入口に書いてある Happy New Year!! を大声で読みながら教室に入って来る子どもたち。

 全クラス全生徒統一の宿題「今年の抱負」は、実に様々でした。
例年「今年の抱負」として出している宿題ですが、そうするとありきたりの事を書いておけば無難、というのが見え隠れしてしまいます。だから、今年は「英語を使って自分がしたいこと」を「日本語で」書いて来るようにしました。
抱負は自分と向き合うこと
英語を使ってしたいことさえハッキリしていたら、毎週通って来る意味も自分で分かるでしょう。

 「久しぶりの英語スイッチ入れるよ」と物理的にプチッとスイッチを押す真似をしたら、そこからは英語タイム。
先生もビックリするくらい、たくさんの冬休みの思い出を英語で話してくれました。
 そして先生が日本語が分からない外国人観光客に変身!
"What is OZONI (お雑煮)??"チャレンジでは、3分の中でたくさん英語で説明が出来ました。5月から英語を始めたクラス。最初は先生の"Hello." の挨拶にも緊張していたクラスが、"New Year food" "January 1st" "soup" "carrot" "mashroom" "potato" "mochi" "vegetables" たくさんの言葉を使ってお雑煮の説明をしてくれて、感動。

 英語教室に通い始めて最初の新年のクラスに言いました。
「去年は少し守りの年でした。先生はみんなに英語は分からない、と思って欲しくないから、敢えて日本語も少し多めに入れていました。でも皆さんがとても素晴らしく伸びたので、今年は『攻め』の年にしましょう。」
教室がざわめきます。
「先生、ぼくたち、せめられるんですか?」
「いやいや、皆さんが先生を攻めて来るんだよ。じゃんじゃん英語で攻めてきてよ。先生受け止め体制万全だから」

 私が言う「攻める」は、例えばこれから少しずつ増やしていく先生の英語が分からなくなってしまったら、その場で「もう一度言って欲しい」「分からない」を言えるようになること。周りに溶け込んで知った顔してたらダメ。自分が分からなかったら、先生に直接言って。レッスンをじゃんじゃん止めて。
それが言葉を「使う」こと
それが出来なかったら、いくら例文たくさん覚えて唱える事が出来ても、使ったことにはならないんだよ。

 みんなホッとしたような顔になって、そこからがすごかった。
一緒に練習した"Sorry?"(え?) "One more time, please."(もう一度お願いします)"I don't know."(分かりません)を上手にレッスン中に使ってくれました。これぞ双方向のレッスン

 さ、今年も面白くなりそうだ。  

2019年01月06日

英語を学ぶこと 教えること

 私の大好きな言葉に、こういうものがある。

「言語を学ぶことは、2つの人生を生きることを意味する。
 一つは日本人として。もう一つは、国際人として。」


 私は正にこの言葉の生き方を体験している。英語を学び、教える中で。

 海外で私は日本代表の気持ちだ。日本の文化やユニークな考え方などを人に伝えることを意識している。
 そして日本にいる時は、どっぷりこの世界に浸かってしまっては国際人としての考え方、感じ方を生徒に伝えることは出来ないから、自分が国際人であることを意識する。日本の面白いところやキレイなもの、不思議なことに心を震わせていたい。

 もう一つ、国際人を意識することで良いことがある。この安全な単一民族の国で暮らしていると、私だって安全な方向に流れて行ってしまいそうになる。大きな波に呑まれて漂いたくなってしまう。だから、敢えて少し違った目線も同時に持ち合わせる様にしている。私たちが普段当たり前と思っていることに、敢えて疑問を持ったり、では自分はどう思っているかと自分に問うてみたりすることで、世界の一員として漂わずしっかり自分らしく生きていける気がするのだ。

 私はそんな「国際人」をたくさん育てていくために、英語教師をしている。
ただ物理的に、ロボットの様に一字一句間違えず文章を作る人を目指すのではなく、つたなくても、自分が大事にしたいもの、人に伝えたいことを持っている国際人を育てたい。

 だから、今日も受け止める。
受け止める人がいないと、誰も発信出来ないから。
 指導者は上から情報を与えるだけの存在だと思われがちだけど、本当は「引き出して」「受け止める」仕事なんだ。

 尊い仕事なんだ。

  

2018年11月16日

授業=ライヴ



 私にとって授業はライヴ
一週間、毎日日替わりで来る生徒のタイプも年齢も違う。毎週同じ曜日に会う生徒でも、コンディションによって全然違う。
その全てを盛り上げ、引き込み、学び合う場が教室。

 先日、大人の生徒さんに『先生は誰の言う事も聴いてるんですね』と言われて嬉しかった。子どもたちはそれを当たり前だと思っているし、私自身当たり前だと思っていたが、改めてそう言われてみると私は教室にいる人たちの言葉を全部拾うつもりで授業をしている。生徒の一言が、その日のレッスンを大きく動かすキーワードになることだってあるし、私が用意していた言葉よりずっと全員の心に残る言葉だったりするからだ。

 時折、悲しそうに、また怒りながら教室に入って来る生徒がいる。きっと学校で悲しい事や悔しい事があったのかな。それでも教室に来られたことがとても嬉しく、ありがたい。私を試すような言葉や態度で来られても、私は取り敢えず全部受け止める。怒って返したり、その態度を咎めたりしない。
 レッスン中、最初はふてくされている子を引き込みながら、一言でも発したらまず大いに歓迎する。
だんだん温まってくる。どんどん良い言葉を出し始める。それをどんどん拾って歓迎。帰り、丁寧に挨拶をして帰る背中を見送りながら、ホッとする。きっと今日あった嫌なこと、ここに置いて、その代わりに自信を持って帰ってくれたかな。

 ある時、英語の問いと答えを交互に進めていた。リズムよく進む中、ある生徒の順で止まってしまった。その子はずっと考えている。
私は英語で『わからないんじゃいんだよね。今、いっぱい頭の中に答えが浮かんで、どれか迷ってるんだよね。その一つを掴んで先生に投げて!』と言った。
生徒は大きく頷き、空をフッと掴んで私に投げながら、英語で答えた。
 その生徒に対するめいいっぱいのポジティヴなイメージを、その子が掴んでくれたのだ。目に見える形で。
私も想像していなかったその行動に、心が震えた
 もしも一人つっかかったその生徒を「わからないのね」と言ってしまっていたら、その子は「自分はわからない」と思い込んだだろう。
でも、私はその子の目に希望を見出した。そして、その子が空を掴んで投げた時、信じる力の大きさを改めて想った。

 子どもたちとの日々は、学びだらけ。
希望と自信は誰かにもらうわけではない、自分で見つけ出すもの。
そのお手伝いをするために、日々のライヴの中でその方法を、一人一人オーダーメイドな方法を見つけ出しているのだ。
ライヴとは、その日その時その場所、その人にしか見つけることができない宝物を見つけるところ。
そこに私たちがいる限り、宝物が出ない日はない。
それが見える子どもたちを育てたいのだ。