2019年01月10日

攻める




 英語教室、新年最初の週が始まりました。
2週間の冬休み、英語に触れていなかったであろう皆さんですが、教室に来るとスイッチが入るみたいですね。入り口でHello, how are you? といつもの挨拶。教室の入口に書いてある Happy New Year!! を大声で読みながら教室に入って来る子どもたち。

 全クラス全生徒統一の宿題「今年の抱負」は、実に様々でした。
例年「今年の抱負」として出している宿題ですが、そうするとありきたりの事を書いておけば無難、というのが見え隠れしてしまいます。だから、今年は「英語を使って自分がしたいこと」を「日本語で」書いて来るようにしました。
抱負は自分と向き合うこと
英語を使ってしたいことさえハッキリしていたら、毎週通って来る意味も自分で分かるでしょう。

 「久しぶりの英語スイッチ入れるよ」と物理的にプチッとスイッチを押す真似をしたら、そこからは英語タイム。
先生もビックリするくらい、たくさんの冬休みの思い出を英語で話してくれました。
 そして先生が日本語が分からない外国人観光客に変身!
"What is OZONI (お雑煮)??"チャレンジでは、3分の中でたくさん英語で説明が出来ました。5月から英語を始めたクラス。最初は先生の"Hello." の挨拶にも緊張していたクラスが、"New Year food" "January 1st" "soup" "carrot" "mashroom" "potato" "mochi" "vegetables" たくさんの言葉を使ってお雑煮の説明をしてくれて、感動。

 英語教室に通い始めて最初の新年のクラスに言いました。
「去年は少し守りの年でした。先生はみんなに英語は分からない、と思って欲しくないから、敢えて日本語も少し多めに入れていました。でも皆さんがとても素晴らしく伸びたので、今年は『攻め』の年にしましょう。」
教室がざわめきます。
「先生、ぼくたち、せめられるんですか?」
「いやいや、皆さんが先生を攻めて来るんだよ。じゃんじゃん英語で攻めてきてよ。先生受け止め体制万全だから」

 私が言う「攻める」は、例えばこれから少しずつ増やしていく先生の英語が分からなくなってしまったら、その場で「もう一度言って欲しい」「分からない」を言えるようになること。周りに溶け込んで知った顔してたらダメ。自分が分からなかったら、先生に直接言って。レッスンをじゃんじゃん止めて。
それが言葉を「使う」こと
それが出来なかったら、いくら例文たくさん覚えて唱える事が出来ても、使ったことにはならないんだよ。

 みんなホッとしたような顔になって、そこからがすごかった。
一緒に練習した"Sorry?"(え?) "One more time, please."(もう一度お願いします)"I don't know."(分かりません)を上手にレッスン中に使ってくれました。これぞ双方向のレッスン

 さ、今年も面白くなりそうだ。  

2019年01月06日

英語を学ぶこと 教えること

 私の大好きな言葉に、こういうものがある。

「言語を学ぶことは、2つの人生を生きることを意味する。
 一つは日本人として。もう一つは、国際人として。」


 私は正にこの言葉の生き方を体験している。英語を学び、教える中で。

 海外で私は日本代表の気持ちだ。日本の文化やユニークな考え方などを人に伝えることを意識している。
 そして日本にいる時は、どっぷりこの世界に浸かってしまっては国際人としての考え方、感じ方を生徒に伝えることは出来ないから、自分が国際人であることを意識する。日本の面白いところやキレイなもの、不思議なことに心を震わせていたい。

 もう一つ、国際人を意識することで良いことがある。この安全な単一民族の国で暮らしていると、私だって安全な方向に流れて行ってしまいそうになる。大きな波に呑まれて漂いたくなってしまう。だから、敢えて少し違った目線も同時に持ち合わせる様にしている。私たちが普段当たり前と思っていることに、敢えて疑問を持ったり、では自分はどう思っているかと自分に問うてみたりすることで、世界の一員として漂わずしっかり自分らしく生きていける気がするのだ。

 私はそんな「国際人」をたくさん育てていくために、英語教師をしている。
ただ物理的に、ロボットの様に一字一句間違えず文章を作る人を目指すのではなく、つたなくても、自分が大事にしたいもの、人に伝えたいことを持っている国際人を育てたい。

 だから、今日も受け止める。
受け止める人がいないと、誰も発信出来ないから。
 指導者は上から情報を与えるだけの存在だと思われがちだけど、本当は「引き出して」「受け止める」仕事なんだ。

 尊い仕事なんだ。

  

2018年11月16日

授業=ライヴ



 私にとって授業はライヴ
一週間、毎日日替わりで来る生徒のタイプも年齢も違う。毎週同じ曜日に会う生徒でも、コンディションによって全然違う。
その全てを盛り上げ、引き込み、学び合う場が教室。

 先日、大人の生徒さんに『先生は誰の言う事も聴いてるんですね』と言われて嬉しかった。子どもたちはそれを当たり前だと思っているし、私自身当たり前だと思っていたが、改めてそう言われてみると私は教室にいる人たちの言葉を全部拾うつもりで授業をしている。生徒の一言が、その日のレッスンを大きく動かすキーワードになることだってあるし、私が用意していた言葉よりずっと全員の心に残る言葉だったりするからだ。

 時折、悲しそうに、また怒りながら教室に入って来る生徒がいる。きっと学校で悲しい事や悔しい事があったのかな。それでも教室に来られたことがとても嬉しく、ありがたい。私を試すような言葉や態度で来られても、私は取り敢えず全部受け止める。怒って返したり、その態度を咎めたりしない。
 レッスン中、最初はふてくされている子を引き込みながら、一言でも発したらまず大いに歓迎する。
だんだん温まってくる。どんどん良い言葉を出し始める。それをどんどん拾って歓迎。帰り、丁寧に挨拶をして帰る背中を見送りながら、ホッとする。きっと今日あった嫌なこと、ここに置いて、その代わりに自信を持って帰ってくれたかな。

 ある時、英語の問いと答えを交互に進めていた。リズムよく進む中、ある生徒の順で止まってしまった。その子はずっと考えている。
私は英語で『わからないんじゃいんだよね。今、いっぱい頭の中に答えが浮かんで、どれか迷ってるんだよね。その一つを掴んで先生に投げて!』と言った。
生徒は大きく頷き、空をフッと掴んで私に投げながら、英語で答えた。
 その生徒に対するめいいっぱいのポジティヴなイメージを、その子が掴んでくれたのだ。目に見える形で。
私も想像していなかったその行動に、心が震えた
 もしも一人つっかかったその生徒を「わからないのね」と言ってしまっていたら、その子は「自分はわからない」と思い込んだだろう。
でも、私はその子の目に希望を見出した。そして、その子が空を掴んで投げた時、信じる力の大きさを改めて想った。

 子どもたちとの日々は、学びだらけ。
希望と自信は誰かにもらうわけではない、自分で見つけ出すもの。
そのお手伝いをするために、日々のライヴの中でその方法を、一人一人オーダーメイドな方法を見つけ出しているのだ。
ライヴとは、その日その時その場所、その人にしか見つけることができない宝物を見つけるところ。
そこに私たちがいる限り、宝物が出ない日はない。
それが見える子どもたちを育てたいのだ。  

2018年10月18日

英語スイッチ




 ホームステイの受け入れをした。今回は息子と同じ年齢の女子高生。我が子同様に話しかける一週間。そこで改めて思ったこと。
その一週間が丸々、我が子には日本語、その子には英語と二つの言語をほぼ同時進行で話し続ける毎日だった。その中で、私の頭の中は英語のスイッチと日本語のスイッチをガシャガシャ押したり切ったり。英語スイッチ入れっぱなしで日本語を話すと、我が子に向かって変な日本語を話していたり。やっぱり言葉を話す時私たちの中には明確なスイッチがあるぞ、と気付きました。

 英語を話していると、よく聞かれるのが「何語で考えてるんですか」という質問。
そこで考える。日本語で話している時、日本語で考えてるかしら。ドラマみたいに心の声がクッキリハッキリ聞こえてきませんよね。
多分絵みたいな、イメージみたいなものが頭の中にボワワワンってあって、それを何語を使って表そうか、って考えるんだと思います。
私のイメージとしては、そこで相手が英語しか通じない人だったら、英語スイッチにガシャンと入れる。韓国語なら韓国語、日本語なら日本語、その時にふさわしい言語を、自分の能力に合わせて出すんだと思う。他言語じゃなくても、例えば日本語だったら相手によって敬語で話したりフランクに話したりする。
また、相手が同郷の人ならお国言葉で話したりする。そういうイメージ。その時頭の中は標準語ですか、方言ですか、って聞かれてもわからないですよね。

 ということで、必ず言葉を話すときは頭の中にあるイメージを外に出すための出口を決めるスイッチがあると思うんです。
 
 そこで、中学生や日本人がどうして英語を知っているのに出せないか、という疑問の答えにたどり着きました。
導き出した答えはこれです。「中学校になると英語を日本語で習うから」結局内容は英語ですが、授業は「日本語」の授業に他ならないからです。スピーキングに必要なのは、英語スイッチに入れた状態を保つ練習。
日本語スイッチに入ったまま英語という教科を習うことは、英語スイッチを作っているだけの作業で実際作動させる方法を学んでいない状態なのだと思います。

 今後本気で英語を話せる人を育てよう、と考えるのであれば、英語スイッチにいれたまま会話をする時間を増やすことです。それは学校だけの問題ではありません。家庭でも、友達どうしでも、いつでもどこでも出来ること。

 英語、話せたら絶対いい!
人生がもっともっと楽しい
是非みなさんの英語スイッチ、動かしてみてください。

 
  

2018年10月03日

英語の学び方



学校バザーのボランティアで、近隣の小学校に出かけた。
久しぶりの小学校。子どもたちが行き交い、皆嬉しそうに何を買おうか、見て回っている様子が可愛らしい。

"Hello, Nami sensei! How are you?"

声がしてふと顔を上げると、教室の生徒がニコニコ立っている。
思わず英語モードに入って英語で挨拶を交わす。
その子の友だちが「え?今なんて言ったの?」と生徒に尋ね、生徒は丁寧に挨拶の内容を説明している。私がその子たちにも "Hello." と呼びかけると、その友達も笑顔で挨拶。

それから相次いで教室の生徒たちが通りかかり、皆

"Oh!! Hello, Nami sensei!"

え?なんで先生ここにいるの?ってビックリ顔。
でもとっさに流暢な英語で話しかけてくれる。

子どもたちが思わず先生に会った〜というリアクションと一緒に自然な英語で明るく声をかけてくれたのが、とても嬉しかった。そして、周りの友達にも英語を教えて一緒に挨拶してくれたり、私に友達や兄弟を紹介してくれるものだから、私は全く知らない子どもたちにまで
"あ〜Namiせんせいだ〜!”
と、あちこちで声をかけられることに。

英語に対する壁が全く見えず、私を見かけるのと同時に条件反射的に英語モードに変わる。
そして一番嬉しかったのは、その英語をふんわりと周りの友達にもシェアして、友達も私に話しかけてくれたことだ。

以前、かなりいろいろな外国の方に「日本は英語を話せる人が少ないが、英語を話せる人でも上から目線の人が多くて、話しづらい」と言われて、それはどうしてなのか、ずっと考えていた。日本では英語が競争の道具だから、そうやって学んだ人は上から目線になってしまうのかな。
本当は言葉って、人と笑いあったり、励ましあったりする為にあるんじゃないかな…
「君の英語は温かい」と言われたのが何より嬉しいことだったけれど、それをどう人に伝えていけばいいんだろう。

私が英語を学んだのは、ニュージーランド。
たくさんの人が優しく声をかけてくれて、私のつたない英語をじっくり聞いて、とにかく待っていてくれた。
あの雰囲気で英語を話す様になったから、私もそんな雰囲気を再現したい、そう思って英語教師を続けてきた。

あなたの夢は叶っているよ
と子どもたちが教えてくれる、そんな出来事だった。
優しくて明るくて、まっすぐで。
大好きな私の生徒たち
これからも温かい輪を一緒に広げていこうね。  

2018年09月22日

誰の幸せ?



 先日、翻訳家の「小宮由」氏の講演会に行って来ました。
その中で拾った言葉。

「子どもの幸せは 大人の幸せとは違う」

 これは大収穫。このところずっと考えていたことが、この言葉でストンと心の中に落ち着いた。
そうなんだ。子どもの幸せのため…と大人が描いているのは、大人の自分の「今の」価値観での「幸せ」であって、それを子どもたちに見せても、必ずしもそれは子どもの幸せではない、ということ。
先生は絵本のお話をされていたのだが、これは何にでも通用する言葉に思えた。

 子どもたちは今、間違うことさえ許されない。迷う前に誰かが「こっちだよ」と道に戻し、速度が弱まれば、「早く早く」と急かされる。背負う荷物の内容も量もゴールも全部決められている子どもがあまりにも多いことに、驚く。

 高校時代からの親友が、当時彼女のことを心配する家族に向かって
『お願いだから、間違えさせて』
と懇願したのが衝撃的で、今でもよく思い出す。

 若人よ、自分の速度で、自分の足で歩むんだ
時には誰よりも遅くなったり、突然加速したり。道に迷って泣いても叫んでもいい。誰かにすがってもいい。
 そしてキラキラ光る憧れに出会い、ときめいたり、心をたくさん動かして、見つけた宝物は、あなただけのもの。

その宝物を探すプロセスを、
人生で一番楽しいプロセスを、
子どもたちから奪ってはいけないと思う。

それを知らない人は、自分の幸せが何か
自分が幸せかどうか、わからなくなってしまうだろう。

ゆっくり見守り、近くから遠くからそっと寄り添う存在でいたい。

  

2018年09月16日

言葉のキャッチボール



 8月は夏休みをいただいていた親子えいごサークルですが、また後期が始まりました!

 今日は体を動かして遊びましたよ〜。カラーボールを転がしたり、投げたり、キックしたり!ポイントは『優しくできるかな?』優しくthrow、優しくkick。実はそっちの方が難しいし、そっちができる人はすごいんだよ〜♪

 うぁ〜みんな上手に、やさーしくボールをポンっと相手に向かってキック。投げるお顔も優しくなるね❤️

 言葉も同じ。相手をしっかり見て、相手がOuch!ってならないようなキャッチボールの仕方を一緒に学びましょう。

 言いたいことを我慢するのではありません。言いたいことの伝え方を考えるのです。

 言葉を学ぶのはとても素敵なことですね。


  

2018年09月05日

言葉と刃物



 英語教師として英語を指導してきて十数年になるが、常に感じているのは「英語を学ぶ理由」がいろいろだということ。理由が違うということは、目標も違う。
 将来必要だから、とお家の方が通わせている子どもたちは特に、自分自身に目標がないのに教室に通うのは大変だろう。そのためにまず私がすることは、その理由を作ること。それはいたって簡単。

「楽しいから」

 「楽しいから」それがあれば、なんでも頑張ることができる。
そんな訳で「楽しい」雰囲気、楽しくなる学び方を常に追求しながら、子どもたちと向き合っている。

 でも「楽しい」の中に必ず気をつけていることがある。それは「温かさ」「敬意」
相手をバカにしたり見下したりするために言葉があるとしたら、それはあまりにも悲し過ぎる。
「言葉は刃物にもなり得る」というが、それは事実。一生消えることのない傷を与えること、命を奪うこともできてしまう。それでいて、その刃物を使った本人は相手を傷つけたかどうかも気づかない場合がある。

 「言葉は刃物」だとすると、英語が話せるからと鼻にかけて人をバカにする人は、刃物の使い方を間違って振り回し、周りの人を傷だらけにしているということになる。とあるテレビ番組で、日常的に英語を使う幼稚園の園児が、東大生の英語力をバカにするという企画があったが、見ていて不愉快極まりなかった。
明らかに「刃物、使えるんだぞ、すごいだろう」と言いながら間違った使い方で周りを傷つけている。
そういうことを平気でさせてしまうのは、その刃物の使い方を教える指導者の問題だと思う。

 海外から来た人と話をしていると、その多くが「日本人の中で英語を話せる人は少ないが、時々英語は流暢なのにものすごい高飛車で人を見下す人に出会う」と言われることがある。「君は違うね」と言われてホッとするのだが、英語も日本語も言葉。言葉を使うことがとりわけ特別な訳でもないし、特に海外で生活をすると周り全員が英語を普通に話しているのを見て、今まで少しでも英語が話せて得意な気持ちになっていた自分を恥ずかしく思うこともある。

 言葉を教えるとき、その刃物を使ってどんな風に美味しい料理を作るか、またその刃物でどんなに心を込めて美しい木彫りを作るのか…「刃物が使える」こと自体よりも、その刃物を使っていかに人を笑顔にするか、人と温かい時間を共有できるか、に重点を置きたい。


 私は昔も今もこれからも、言葉をそんな風に教えていく。
そのために英語教師をしている。  

2018年08月30日

一生ものの宝物



 最近中学生があまりにもテストに振り回される様子を見ながらモヤモヤしていたところ、先日天国に旅立たれた さくらももこさん の記事を読んだ。エッセイ漫画を描こうと決めたまでの経緯の中に、彼女が出した作文から彼女の持つ才能を見つけ出して見せてくださった方がおられたこと。そこで背中を押されて、新しい発想に結びつき「ちびまるこちゃん」が誕生した。
 うん、やっぱり自分の信じた道を行こう、と思いました。

 子どもたちが自分の持っている大事なものを見つけることをサポートしたい。それが私の仕事。

 どの子も同じ様に点数を取らせることは、必要なのかもしれないけど、私がしたいことじゃない。その点では、ごめんなさい。 
 子どもたちの目がパッと開いた時に、成績が上がってるかも知れない。英検を取っているかも知れない。子どもたちやお家の方々は喜んでくださるけど、それは結果であって、私が目指しているものではありません。
 だから、「うちに来れば成績が上がります!」「英検○級合格!」という謳い文句は使いません。同じ英語の中でも子どもたちの得意は様々。
 その得意を一緒に見つけたい。弱点の方じゃない。

 得意を伸ばした子どもたちが、心の余裕で苦手なことも頑張っちゃうかも知れない。でも、それは私じゃなくて子どもたちの力。一緒に子どもたちを見守り応援してくださったおうちの方々のパワー

 私がしたいのは、子どもたちが持ってる宝物探しのお手伝い
それはきっと目先の何よりも子どもたちの一生モノの宝物だと思うから。  

2018年07月04日

日本の行方




 私は英語教師です。もちろんどうやって子どもたちが英語を使いこなせる様になるか、を日夜考えテクニックを学んでいます。
が、その想いにいつしか「どうやって子どもたちが自分の考えを自由に話せる様になるか」が加わり、更に「どうやって子どもたちが主体的に物事を見るようになるか」と考える様になりました。

 今、日本は2020年度、オリンピックイヤーに向けての大教育改革まっただ中。文科省の改革目標を見ていると、『たくさんの情報の中から必要なものを抽出して、自分なりに理解をして人に伝えられる人を育てる』…と、これには共感。でも方法はめちゃくちゃ。計画性がなく、既に行き詰まっていることは政治に詳しくない私でもよく分かります。
また更に、アクティヴラーニングとやらの中では、受け身の授業ではなく自分も参加して学ぶ、という漠然とした目標もある。現時点でアクティヴラーニングの解釈は様々で、みんな好き勝手に解釈をしていますが、学校では数学の教え合いなど、塾の「アクティヴラーニング」って何をするんやろ?あちこちにここぞとばかりに「英語教育」と「アクティヴラーニング」の文字が踊っています。

 正に今私が知りたいと思っているのは、これ程までに叫ばれている「教育改革」、実際現場がどこまで付いて行けているのか、というところです。現場っていうのは、教育現場もですが、家庭もそうです。

 踊らされては、いませんか。

 私は研究を始めました。実際いろいろなおうちの方々とお話しする機会は普段からありますし、毎日一定数の子どもたちと会うのでその生活や学習のことは把握しています。もう一つ言えば、英語教室は言葉の教室ですので、子どもたちが今学んでいる中で何をどう感じているか、子どもたち自身の気持ちも多く聞いています。学校の先生方とも出会って話す事はありますが、もっと声が欲しいと思い、Twitterを始めました。全国の小、中学校・高校の先生方300人以上と繋がり、今の問題点を探っています。

 その中で今見えていることは、家庭、学校、社会それぞれが子どもたちに向かう事を譲り合っている現状です。
「もっとこうして欲しい」「家庭はこうあるべき」「塾に行けば成績が上がる」…等々、子ども自身の気持ちや希望は置いてけぼりで、周りの大人たちがそれぞれに子どものことを譲り合っている状態がよく見られます。

 おうちの方が忙しいご家庭では、子どもたちの勉強を十分見てやれない、と思われています。家庭からの要望や文科省からの要望で学校はもういっぱいいっぱい。精神を病んだり、職場を離れたりする方が急増中。これはあまり知られていませんが、全国的に先生が足りない状態になっています。塾や各種教室は、これがビジネスチャンス!とばかりに容赦なくおうちの方々を煽ります。社会は…どうでしょう。公園でボール遊びするな、電車の中で赤ちゃんがうるさい…等々のクレームは、子育てに優しい社会とは言えません。
すべてにおいて、子どもたちは置いてけぼり。大人の都合最優先です。

 実際は、みんな知っています。
何はさておき、教育が大事。
でも、誰か一人が請け負うものでなく、みんながシェア出来ればいい。
私達が一番難しくしている教育。
実はとてもシンプル。
『あなたがそこにいれくれて、良かった』という温かい気持ちが最高の教育
免許がなくても、親じゃなくても、どんな人だって、してあげられる。
みんなが少しずつあげられたら、どんなにいいだろう。

 時間が無い中で、形だけ指導する連帯責任や歪んだ絆、人の価値の所在。
その中で、自己肯定感が消えて行く。
でもたった一人でも、立ち止まって手を広げ
『あなたは、あなただからいいんだよ。』
という人がいてくれたら。

 心にすこーし余裕のある方からで、構いません。
どうぞ、立ち止まって。
子どもたちに「もっともっと」を求めないで。
今いるその子をギュッと受け止めてあげてください。
歌になっているくらい、みんなが欲しがる言葉
「Just the way you are.」(君は君のままで)
は簡単そうに見えて、とても難しい。
でも、トライしてみてください。

 そして、子どもたちの話をじっくり聞いてみてください。
ダメ出しもせず、正しもせず、自分の意見も挟まず。
「そんな風に思うんだね〜」って、ただ興味深く受け止めてあげてください。
それが、どこででも出来るアクティヴラーニング。良質な教育です。

 まずは一週間やってみてください。
変化に驚くでしょう。
自己肯定感を育てる方法の一つです。