2018年10月21日

ハロウィンの思い出



 今や、街を歩けば8月の終わりくらいからショーウィンドーはハロウィン。
英語教室を始めて10年が立とうとしているけれど、こんなにハロウィンの装飾やラッピング、お菓子が簡単に手に入る時代が来ようとは、夢にも思いませんでした。
以前はハロウィンは海外からお菓子やラッピングを取り寄せるという大赤字行事。今もその名残で、ハロウィンは教室の赤字当たり前行事となっています。
私のハロウィンパーティーは、他の教室や海外からの留学生ボランティアに声をかけて、子どもたちにいつも習っている先生以外の人たちと「英語で楽しくコミュニケーションする場」と決めています。

 最初にゲストティーチャーの自己紹介を英語で聞くところから。みんな、うんうんと頷きながら、時に名前を復唱したりしながら真剣に聞いています。
そして、私といつものレッスンの様にハロウィンキャラクターやハロウィンの言葉をチェック。アルファベットの読み方、フォニックスもおさらいして完全に英語モードに。

 アイスブレイクゲームとして、人数合わせゲーム、コミュニケーションゲームをゲストの先生も交えて楽しみつつ、トリックオアトリートタイム!
今回は5つのブースに分かれた先生たちのブースをグループで回りながら、ミッションをこなしていく。あるブースでは「英語パズルに挑戦せよ!」あるブースでは「先生に出来る限り多くの質問をせよ!」あるブースでは「みんなでSay "Cheese!" いいお顔でハロウィンの写真を撮ろう」。各ブースでミッションをクリアしたら、スタンプをもらい、全員スタンプをゲットしたらトリックオアトリート!
皆さんのバッグがどんどん膨らんでいきます。子どもたちは時々バッグを覗き込んでニンマリ。

 それが終わったら、Nami先生が作ったジャッコランタンに火を灯してみんなで見ます。
今年は保護者の方からいただいたかぼちゃをくり抜いてみました。(中身はもちろん美味しくいただきました)
「日本のかぼちゃは硬いので、彫るのが大変。先生がみんなの代わりに彫ったから、今日はみんなで一緒に見よう」
電気を消すと、子どもたちから歓声が上がります。キレイ〜!

 最後にコスチューム賞。私は決められないのでゲストの先生方に一人ずつピックアップしてもらって、表彰。
全体写真を撮ったら、帰りはドアのところで今日頑張ったポイントカードと引き換えに、キャンディーすくい

 最後までワクワクドキドキのハロウィン
企画運営と毎年頭を悩ませる、産みの苦しみなのですが、この子どもたちの笑顔で吹き飛びます

 このイベントは、もちろん英語教室のイベントの一環として行なっているのですが、遠い将来、子どもたちが慣れない仕事に疲れた帰り道ふとショーウィンドーでジャッコランタンを見た時、また辛くて逃避したいような気持ちになった時にふと心に広がる、温かい子ども時代の思い出の一つになるといいな…と願いを込めて行なっています。
今のみんなに、そしてずーっと未来のみんなに、届いたかな。
今年も楽しかった!Happy Halloween!!  

2018年10月18日

英語スイッチ




 ホームステイの受け入れをした。今回は息子と同じ年齢の女子高生。我が子同様に話しかける一週間。そこで改めて思ったこと。
その一週間が丸々、我が子には日本語、その子には英語と二つの言語をほぼ同時進行で話し続ける毎日だった。その中で、私の頭の中は英語のスイッチと日本語のスイッチをガシャガシャ押したり切ったり。英語スイッチ入れっぱなしで日本語を話すと、我が子に向かって変な日本語を話していたり。やっぱり言葉を話す時私たちの中には明確なスイッチがあるぞ、と気付きました。

 英語を話していると、よく聞かれるのが「何語で考えてるんですか」という質問。
そこで考える。日本語で話している時、日本語で考えてるかしら。ドラマみたいに心の声がクッキリハッキリ聞こえてきませんよね。
多分絵みたいな、イメージみたいなものが頭の中にボワワワンってあって、それを何語を使って表そうか、って考えるんだと思います。
私のイメージとしては、そこで相手が英語しか通じない人だったら、英語スイッチにガシャンと入れる。韓国語なら韓国語、日本語なら日本語、その時にふさわしい言語を、自分の能力に合わせて出すんだと思う。他言語じゃなくても、例えば日本語だったら相手によって敬語で話したりフランクに話したりする。
また、相手が同郷の人ならお国言葉で話したりする。そういうイメージ。その時頭の中は標準語ですか、方言ですか、って聞かれてもわからないですよね。

 ということで、必ず言葉を話すときは頭の中にあるイメージを外に出すための出口を決めるスイッチがあると思うんです。
 
 そこで、中学生や日本人がどうして英語を知っているのに出せないか、という疑問の答えにたどり着きました。
導き出した答えはこれです。「中学校になると英語を日本語で習うから」結局内容は英語ですが、授業は「日本語」の授業に他ならないからです。スピーキングに必要なのは、英語スイッチに入れた状態を保つ練習。
日本語スイッチに入ったまま英語という教科を習うことは、英語スイッチを作っているだけの作業で実際作動させる方法を学んでいない状態なのだと思います。

 今後本気で英語を話せる人を育てよう、と考えるのであれば、英語スイッチにいれたまま会話をする時間を増やすことです。それは学校だけの問題ではありません。家庭でも、友達どうしでも、いつでもどこでも出来ること。

 英語、話せたら絶対いい!
人生がもっともっと楽しい
是非みなさんの英語スイッチ、動かしてみてください。

 
  

2018年10月03日

英語の学び方



学校バザーのボランティアで、近隣の小学校に出かけた。
久しぶりの小学校。子どもたちが行き交い、皆嬉しそうに何を買おうか、見て回っている様子が可愛らしい。

"Hello, Nami sensei! How are you?"

声がしてふと顔を上げると、教室の生徒がニコニコ立っている。
思わず英語モードに入って英語で挨拶を交わす。
その子の友だちが「え?今なんて言ったの?」と生徒に尋ね、生徒は丁寧に挨拶の内容を説明している。私がその子たちにも "Hello." と呼びかけると、その友達も笑顔で挨拶。

それから相次いで教室の生徒たちが通りかかり、皆

"Oh!! Hello, Nami sensei!"

え?なんで先生ここにいるの?ってビックリ顔。
でもとっさに流暢な英語で話しかけてくれる。

子どもたちが思わず先生に会った〜というリアクションと一緒に自然な英語で明るく声をかけてくれたのが、とても嬉しかった。そして、周りの友達にも英語を教えて一緒に挨拶してくれたり、私に友達や兄弟を紹介してくれるものだから、私は全く知らない子どもたちにまで
"あ〜Namiせんせいだ〜!”
と、あちこちで声をかけられることに。

英語に対する壁が全く見えず、私を見かけるのと同時に条件反射的に英語モードに変わる。
そして一番嬉しかったのは、その英語をふんわりと周りの友達にもシェアして、友達も私に話しかけてくれたことだ。

以前、かなりいろいろな外国の方に「日本は英語を話せる人が少ないが、英語を話せる人でも上から目線の人が多くて、話しづらい」と言われて、それはどうしてなのか、ずっと考えていた。日本では英語が競争の道具だから、そうやって学んだ人は上から目線になってしまうのかな。
本当は言葉って、人と笑いあったり、励ましあったりする為にあるんじゃないかな…
「君の英語は温かい」と言われたのが何より嬉しいことだったけれど、それをどう人に伝えていけばいいんだろう。

私が英語を学んだのは、ニュージーランド。
たくさんの人が優しく声をかけてくれて、私のつたない英語をじっくり聞いて、とにかく待っていてくれた。
あの雰囲気で英語を話す様になったから、私もそんな雰囲気を再現したい、そう思って英語教師を続けてきた。

あなたの夢は叶っているよ
と子どもたちが教えてくれる、そんな出来事だった。
優しくて明るくて、まっすぐで。
大好きな私の生徒たち
これからも温かい輪を一緒に広げていこうね。  

2018年09月25日

賞 what?!



 毎年恒例の合同英語暗唱大会も、今年で6回目。仲間たちと0から作ったイベントで、毎年子どもたちと一緒に成長し続けるとても愛おしい大会。一緒に作り上げてきた仲間も私が心から敬愛する方々。子どもたちを包む温度が一緒だから、こうして優しく温かく一緒に歩んでこられたんだと思う。

 大会だから、もちろん賞がある。各部門賞を設けて、プロの英語教師を審査員に迎え審査をお願いする。日頃は「自分のペースで学ぼう、笑顔で学ぼう」と言っている私たちは、少しピリッとする。
それは賞が欲しいからじゃない。
賞に振り回されない様に、価値観が揺るがない様に。

 賞は飽くまでも子どもたちのモチベーションに繋がるものでないといけない。
落胆する、悔しがる、それは前向きな痛み。私たちは毎年、子どもたちのそれに寄り添う覚悟を決める。
賞を逃したことで、一番悔しく辛く悲しい思いをするのは、本人。
その落胆、それは深くて辛い。
もがいても抜け出せない様な後味の悪さ。
人生で初めて味わう苦い思い。

 そこで私たちが出来ることはなんだろう。

 見守ることに他ならない。

 絶対にしていけないことは、それに輪をかける様に「あそこが悪かった」「ここをもう少しきちんとしていれば」という負の援護射撃だ。
子どもたちが落胆している、ガッカリしている、見た目は平気そうに見える子もいるかも知れない。
でも自分が頑張って挑んだことで、目標が達成出来なかったことがどれだけ辛く悲しいことか、私たちは十分わかっているはずだ。
 そこで自分の負の思いが自分が受け止められる範囲を超えてしまったら、必要以上に重くなってしまったら、子どもたちは次に進むのを止めてしまうだろう。

 たくさんのステージに上がった子どもたちのその後の成長を見てきた私の目から見たら、賞なんていつだって物理的にはとても小さなもの。

 それを受けた子どもたちが、自信をつけてどんどん伸びていく。その成長自体が、その賞自体の価値よりも大きなこと。賞はほんのきっかけに他ならない。
 そして賞を逃した子も、その悔しさから立ち上がった時、自らを分析し、人に憧れ、そして自分の理想に近づくべく努力をする。そしてその力を大きく伸ばして羽ばたいていく。賞はそのきっかけにもなり得るのだ。

 賞じゃない、その賞をきっかけにしてどう前を向いていくのか、そこが一番大切。
それを私たちはいつも心に留めておかなければならない。通りすがりの審査員の専門知識や心情を鵜呑みにして振り回されるのではなく、目の前の我が子の努力と、立ち上がって再び歩み出すことを信じて、じっくりゆっくり温かく見守っていられるかどうか、それがその賞がその子にとって良い経験になるか、の決め手になる。

 子どもたちはちゃんと自分で向上、探求していく。
私たちはそれを邪魔しないようにするだけだ。

 こうして、私たちの大会は子どもたちが立ち上がってまた歩き出すまでを見届けたところで、やっと終わったと言える。

 今年もおつかれさま、素敵な仲間たち。  

2018年09月17日

英語の楽しみ方、もう一つ。



 ある時、生涯学習センターの大人の生徒さんに私が、「 "I" は、"私"だけでなく、"俺" "ぼく" "わし" "おいどん" "わたくし"…など自分を指す言葉全部を表す言葉なので、自分がなりたい自分を英語で再び楽しんでください♪とお伝えしたところ、面白いご質問がありました。

 ご質問は「では翻訳本の日本語はどうなっているのか」といったものでしたが、実にいい質問です!
 ズバリ、それは御察しの通り、その世界を翻訳者の方の感じ方を通しているのです。
「そんなこと、当たり前」と思われる方も多いでしょうが、実際よく考えてみると原書で作者が思ったことがそのまま翻訳されているとは限らない、ということですよ。もしかしたら、Iを「僕」のイメージで書いていたけれど「俺」と訳されていることもあり得る、ということです。
 結構本の世界観から考えると、重大なことではないでしょうか。ちなみに私は大好きなボブ・グリーン氏のコラムがいろいろな人に訳されているので、それぞれの本を読むたびに若干の違和感を覚えます。それぞれの感じ方が違うので、同じ人のコラムなのに印象が違うのです。

 質問にお答えしながら、私も改めて「気に入った本は是非原書を読みたい」と思いました。
 秋の夜長、英語の本を自分の世界を通して読んでみられませんか。ポイントは、簡単な子どもの絵本からトライすると良いようです。図書館の児童図書コーナーにあるような、簡単な洋書絵本を読みながら、「俺」でも「ぼく」でもない、自分の感じる "I"を体験してみましょう。

 
  

2018年09月16日

言葉のキャッチボール



 8月は夏休みをいただいていた親子えいごサークルですが、また後期が始まりました!

 今日は体を動かして遊びましたよ〜。カラーボールを転がしたり、投げたり、キックしたり!ポイントは『優しくできるかな?』優しくthrow、優しくkick。実はそっちの方が難しいし、そっちができる人はすごいんだよ〜♪

 うぁ〜みんな上手に、やさーしくボールをポンっと相手に向かってキック。投げるお顔も優しくなるね❤️

 言葉も同じ。相手をしっかり見て、相手がOuch!ってならないようなキャッチボールの仕方を一緒に学びましょう。

 言いたいことを我慢するのではありません。言いたいことの伝え方を考えるのです。

 言葉を学ぶのはとても素敵なことですね。


  

2018年09月11日

指導者ってさ



 指導者って大変そう。
そう、大変なのは、どんな状況でも相手を信じてかかること。実はそれがとても大変。でも、それが出来たら後は楽。


 例えば何かを話して聞かせる時、すごく伝えたいメッセージがある時。
もしかすると相手にとってそれは良いタイミングではないかも知れない。指導者にとっては「今、これ大事!聞いて〜」でも、聞く側にとってはそれを受け止めて、「よしっ!頑張るぞ!」とすぐに言えない状況があるかも知れない。

 大事なのは、それを知っておくこと


 
だから、自分のタイミングに相手のそれが合っていないことに対して腹を立てる必要もない。
その代わり、相手がちゃんと聞いていない様に見えても聞いていることを信じる。そして相手がそれを将来本当に必要な時に思い出してくれることを信じて、伝えるアクションだけは続けていくこと。それが大切。



 怒りを伴わず、ただ相手の懐に忍ばせるつもりでね。



 これを教えてくれたのは、身近な少年。15歳になった彼が、ふと「これ、前に母さんが言ってたことだよね」と言い出した。え?私も忘れてるくらい昔?でもこの子の懐にはしっかり入っていた。私からの人生のアドバイス。お守り。ちゃんと大事な時に引っ張り出してきてくれた。



 その時に受け止めてくれていない様に見えても、「なぜ今受け取らない?」「今すぐ動け!」というのは伝える側のあまりにも勝手な言い分で。会話は相手と自分がいるから成立していることを、私たち指導者は忘れてはいけない。



 もう一つ。教育は一生もの。即席で完結する教育はないから、長い目で、ゆっくり、それぞれのペースで。。。出来たら素敵だし、ストレスフリー。  

2018年09月05日

言葉と刃物



 英語教師として英語を指導してきて十数年になるが、常に感じているのは「英語を学ぶ理由」がいろいろだということ。理由が違うということは、目標も違う。
 将来必要だから、とお家の方が通わせている子どもたちは特に、自分自身に目標がないのに教室に通うのは大変だろう。そのためにまず私がすることは、その理由を作ること。それはいたって簡単。

「楽しいから」

 「楽しいから」それがあれば、なんでも頑張ることができる。
そんな訳で「楽しい」雰囲気、楽しくなる学び方を常に追求しながら、子どもたちと向き合っている。

 でも「楽しい」の中に必ず気をつけていることがある。それは「温かさ」「敬意」
相手をバカにしたり見下したりするために言葉があるとしたら、それはあまりにも悲し過ぎる。
「言葉は刃物にもなり得る」というが、それは事実。一生消えることのない傷を与えること、命を奪うこともできてしまう。それでいて、その刃物を使った本人は相手を傷つけたかどうかも気づかない場合がある。

 「言葉は刃物」だとすると、英語が話せるからと鼻にかけて人をバカにする人は、刃物の使い方を間違って振り回し、周りの人を傷だらけにしているということになる。とあるテレビ番組で、日常的に英語を使う幼稚園の園児が、東大生の英語力をバカにするという企画があったが、見ていて不愉快極まりなかった。
明らかに「刃物、使えるんだぞ、すごいだろう」と言いながら間違った使い方で周りを傷つけている。
そういうことを平気でさせてしまうのは、その刃物の使い方を教える指導者の問題だと思う。

 海外から来た人と話をしていると、その多くが「日本人の中で英語を話せる人は少ないが、時々英語は流暢なのにものすごい高飛車で人を見下す人に出会う」と言われることがある。「君は違うね」と言われてホッとするのだが、英語も日本語も言葉。言葉を使うことがとりわけ特別な訳でもないし、特に海外で生活をすると周り全員が英語を普通に話しているのを見て、今まで少しでも英語が話せて得意な気持ちになっていた自分を恥ずかしく思うこともある。

 言葉を教えるとき、その刃物を使ってどんな風に美味しい料理を作るか、またその刃物でどんなに心を込めて美しい木彫りを作るのか…「刃物が使える」こと自体よりも、その刃物を使っていかに人を笑顔にするか、人と温かい時間を共有できるか、に重点を置きたい。


 私は昔も今もこれからも、言葉をそんな風に教えていく。
そのために英語教師をしている。  

2018年08月10日

英語キャンプ2018



 今年も当教室の目玉企画の一つ、4教室合同英語キャンプ(任意参加)が終了しました。
ハニラミからは、3年生から6年生までの7人が参加。

 このキャンプは、本当に参加しないとわからない、ものすごいインパクト自分を変える何かがある!!今年もそれを強烈に実感して帰ってきました。

 たったの2日間、それをフルに使ってどの瞬間にも子どもたちに全力で関わってくれた AC(アメリカンカウンセラー)の学生たち、間に入って細かいところまで私たちの希望を聞いて調整してくれたJC(日本人カウンセラー)。
 そして、今年も尊敬する大好きな先生方と感動を分かち合うことが出来ました。

 小一時間バスの中で自己紹介やおしゃべりを楽しみながらワクワク、到着したらすぐに子どもたちはACにお任せ。私たちはお風呂や就寝、起床、ベッドメイクなどの生活面でのサポートに回ります。何も起こらない限り、私たちは写真を撮ったり、全体の様子を見ながら過ごします。ACと一緒に英語だけの空間で活動する子どもたち、普段のレッスンとはまた違った顔を見せてくれて、私たちにも良い経験となりました。

 食事も、楽しいイベントもワークもスキット練習も、キャンプファイヤーもダンスパーティーもACと一緒。一瞬も隙間なく楽しいイベントが次々にあります。子どもたちの中で「英語を話す」ハードルがどんどん下がってくるのが見える様。
 そこには、「伝えたい!」という子どもたちの強烈な想いが溢れてきます。

 二日目は朝から英語モード。”Good morning!”と声をあげながら起きてくる子どもたち。寝起きの彼らに英語で質問してもスムーズに答えます。
 前日から練習している英語スキットを全員の前で発表したり、ACが用意してくれたお祭りに参加したり、バス出発の2時ギリギリまで楽しく過ごします。

 最後のお別れは、バスの窓を隔ててこの二日間一緒に歌った歌や、お遊戯の大合唱。
 ”Good bye!” “Bye bye”見えなくなるまで手を振って。。。

 すぐに「あ〜またすぐに会いたい!!」

 子どもたちのこれからに繋がるように、全力で愛情と情熱いっぱいにこどもたちに向き合ってくれた若いACたち。そしてまたいつか出会って、今度はもっとたくさん話したい!と希望に燃える子どもたち

 8月9日。この日にこの小さな集団の中で生まれた友情は、これからの世界平和への大きな希望につながっている。そう確信した今年の夏キャンプでした。  

2018年07月22日

自分を越えていく



 ハニラミ英語教室の夏のチャレンジ、今年もみんな大成功
教室では、6月から7月半ばの一ヶ月半かけて各クラス課題を設け、英語の暗唱にチャレンジします。

 教室に5月から通い始めた子どもたちは自己紹介を、そして2年目以上の子どもたちは既習年数によって100ワード前後の課題を暗唱します。
教室での決まりは、おうちで週に1回以上おうちの方にみてもらうこと。暗唱バッチリの場合は花マル、課題文を見ながらだったら読める場合はマル、つっかえてしまう場合は△で付けてもらい、更にサインをもらいます。
毎週2行ずつくらい。スモールステップを積み上げます。
 教室では、その数行ずつ増えていく課題を毎回発表し合います。他の生徒は誰に当てても前向きなコメントが出来る様に、発表を聴きます。

 私がすることは、場を作る事(課題を与えることと)と進行のみ。いわゆるファシリテーター。子どもたちはお互い前向きな言葉をかけ合うこと前提ですので、見方も「良いところを探す」作業になります。言われる方も、良い所を教えてもらえたら、次へのモチベーションに繋がります。
 それを毎週積み上げての、本番。
そこでは全員が100ワード前後の課題文を暗唱している上に、それぞれの余裕に合わせて表現に工夫をしたりして臨みます。

 私が示した今年の目標は『届ける』。みんなの声を届ける。物語や説明文の内容を『届ける』
例え英語が分からない人が発表を見ても、その内容が分かる様に届けよう、それが合言葉でした。

 私が感情を出す事、自分の意見を言う事はほとんどなく、最後から2度目のレッスンで初めて私からのアドバイスを送りました。そこまでいくと、それぞれが自分で弱点を探り、直しているから本当に最後の塩一振り、それを伝えます。

 そして迎えた発表会当日。同じ課題文でもそれぞれの暗唱は違う。豊かに表現する生徒、ドキドキが隠せないけど一生懸命思い出しながら発表する子。どの子にもそれまでのプロセスがあり、私はどの子の歩みもすぐに思い出す事が出来ます。それ故、何度も涙が溢れ、その度に仕事モードに入れる、そんな胸いっぱいの時間でした。

 いつもの8人の教室よりもずっと多い約100人の前にたった一人で立ち、よく頑張りました。
最後に毎回皆さんにお伝えすること、おうちの方、今日はダメ出しは無しです。あそこに立ったことをまず、讃えてください。技術的な事は私の仕事。これからの指導にしっかり活かしていきますから、ご安心ください。
 子どもたちにとって、大好きな家族の笑顔は何よりのモチベーションになりますから。
それがあって今回の暗唱発表会は完成なんです。

 子どもたちは先輩の発表を見て、来年の自分を描きます。上手な子どもの発表はどこが良いポイントなのか、それを見る姿勢をレッスン中に身につけていますので、自分でこれからますます上を目指していくでしょう。夏休み初日はドキドキな日になりましたが、終わって爽快!これからめいいっぱい楽しい夏休みを過ごしてね。
『今は好きな事を好きなだけ…それが後から大きな力になります』
今、外国で学生生活を送っている皆さんの先輩からのメッセージをお届けして、この会を終わりました。