2019年03月03日

それぞれの持ち味



 私は人の能力をを見る力があり、またそれを言葉にして伝えるのがとても得意です。



 この持ち味に気付かずにずっと生きてきた私は、人の感情や雰囲気が視覚的に見える自分の特性に、とても苦しめられてきました。

いじめられている子が感じる前に、その子の中にある悲しみの感情を受け取ってしまうし、「あの子を仲間はずれにしよう」と企てている人たちが行動に移す前にわかってしまう。先生一人一人の機嫌も手に取るようにわかるし、私自身に向けられた怒りでなくても、負の感情を強く感じてしまう私には苦しい時間が多かったことを覚えています。毎朝、仲良しの子の機嫌が今日はよかったらいいな、と願いながら学校に行っていました。



 正に人の感情に振り回される子ども時代だったのです。そこにメリットは全くなく、でも他の人も同じに違いないと信じていたので、みんな頑張って生きているんだから、と自分をただ奮い立たせ続けて生きてきました。



 さて、生まれて40年以上経った今、私は母親として指導者として自分の大半の時間を過ごしています。人の感情を吸い込んでしまうのに、なぜ敢えてこれ程までに人にまみれる生活を選んでしまったのか、自分ではわからないままに引き寄せられてきましたが、やっと自分の才能を活かすことが出来ているのだと気付きました。

 子どもを育ててみて、また教育者になってみて、大人がよく子どもに言って聞かせる「人の気持ちになって」とか「相手の立場に立って」ということが、他の人にとって意外と難しいことなのだと気付いたのです。


 私にとってそのハードルはとても低く、相手の気持ちになって涙を流すことも度々あります。子どもたちが何も言わなくても、その子どもたちの気持ちや悩みを感じる私に、子どもたちが次第に集まる様になってきました。



 人の気持ちが視覚的に見える、というと大げさですしオーラの様なものが見えるのか、といわれると私はそんな非科学的な言い方はあまり好みませんが。少なくとも学校勤務の時は、毎日授業をするクラス一つ一つに入った瞬間に、そのクラスのその日の雰囲気が見えていました。そこでその日のレッスンプランを少し変えることもありました。今、自分のレッスンでも教室に入ってきた瞬間に、子どもたち一人一人のその日のムードがわかります。

 何も状況をコントロール出来ない子ども時代を過ごし、大人になって変わったのは、大人だとその特性を能力として活かせる、というところでした。選択の余地なく与えられ続ける子ども時代から、自分で選べる場面が格段に増えたことは、何よりの救いでした。



 私は教育の中でも「出来ないことを指摘する」のではなく「励ます」方を選びました。どんなに大人を困らせる子でも絶対何か良いものを持っていて、それに本人も周りも気付いていないだけなのだ、という考えの下本人やお家の方にその子の良いところを見つけて伝える活動を始めました。



 そこで驚いたのは、そこからの本人の伸びと、お家の方の喜びの声。気付かないことに気付いてくれた、と感謝の声をたくさんいただきました。
でも何よりも、今まで負の感情をたくさん吸い込んできた私は、こうして人の幸せや希望にあふれた感情に触れることで、とても生きやすくなったのです。



 そう思うと、世の中にはいかに負の感情が多いことでしょうか。不安やねたみ、自信の無さや憎しみ、でも自分に可能性を見出した人は強いです。自分を信じて生きていくことは、希望そのもの。私は今自分がとことん迷惑してきた自分の特性を、自分だけでなく周りの人も幸せになる能力として認めることが出来ました。



 冒頭の言葉は、過去の負の感情にまみれた私からは出てこなかった言葉です。しかし周りの人たちとの関わりの中で、自分の能力を見出し自分を認められたからこそ、今こうして堂々と皆さんにお伝え出来るのです。



 もう一度言います。人は必ず宝物を持っています。その能力で自分も周りの人も幸せになることが出来ます。

 出来ないことばかりに注目してしまう社会ですが、出来ないことがあるのならば、その反対だって必ずあります。



 自分に出来ること。
 したいこと。好きなこと。



 それに目を向けていきませんか。一緒に探しましょう。
あなたの辛さは、きっとあなただけでなく、誰かの喜びに変わります。
   

2019年01月10日

攻める




 英語教室、新年最初の週が始まりました。
2週間の冬休み、英語に触れていなかったであろう皆さんですが、教室に来るとスイッチが入るみたいですね。入り口でHello, how are you? といつもの挨拶。教室の入口に書いてある Happy New Year!! を大声で読みながら教室に入って来る子どもたち。

 全クラス全生徒統一の宿題「今年の抱負」は、実に様々でした。
例年「今年の抱負」として出している宿題ですが、そうするとありきたりの事を書いておけば無難、というのが見え隠れしてしまいます。だから、今年は「英語を使って自分がしたいこと」を「日本語で」書いて来るようにしました。
抱負は自分と向き合うこと
英語を使ってしたいことさえハッキリしていたら、毎週通って来る意味も自分で分かるでしょう。

 「久しぶりの英語スイッチ入れるよ」と物理的にプチッとスイッチを押す真似をしたら、そこからは英語タイム。
先生もビックリするくらい、たくさんの冬休みの思い出を英語で話してくれました。
 そして先生が日本語が分からない外国人観光客に変身!
"What is OZONI (お雑煮)??"チャレンジでは、3分の中でたくさん英語で説明が出来ました。5月から英語を始めたクラス。最初は先生の"Hello." の挨拶にも緊張していたクラスが、"New Year food" "January 1st" "soup" "carrot" "mashroom" "potato" "mochi" "vegetables" たくさんの言葉を使ってお雑煮の説明をしてくれて、感動。

 英語教室に通い始めて最初の新年のクラスに言いました。
「去年は少し守りの年でした。先生はみんなに英語は分からない、と思って欲しくないから、敢えて日本語も少し多めに入れていました。でも皆さんがとても素晴らしく伸びたので、今年は『攻め』の年にしましょう。」
教室がざわめきます。
「先生、ぼくたち、せめられるんですか?」
「いやいや、皆さんが先生を攻めて来るんだよ。じゃんじゃん英語で攻めてきてよ。先生受け止め体制万全だから」

 私が言う「攻める」は、例えばこれから少しずつ増やしていく先生の英語が分からなくなってしまったら、その場で「もう一度言って欲しい」「分からない」を言えるようになること。周りに溶け込んで知った顔してたらダメ。自分が分からなかったら、先生に直接言って。レッスンをじゃんじゃん止めて。
それが言葉を「使う」こと
それが出来なかったら、いくら例文たくさん覚えて唱える事が出来ても、使ったことにはならないんだよ。

 みんなホッとしたような顔になって、そこからがすごかった。
一緒に練習した"Sorry?"(え?) "One more time, please."(もう一度お願いします)"I don't know."(分かりません)を上手にレッスン中に使ってくれました。これぞ双方向のレッスン

 さ、今年も面白くなりそうだ。  

2019年01月06日

英語を学ぶこと 教えること

 私の大好きな言葉に、こういうものがある。

「言語を学ぶことは、2つの人生を生きることを意味する。
 一つは日本人として。もう一つは、国際人として。」


 私は正にこの言葉の生き方を体験している。英語を学び、教える中で。

 海外で私は日本代表の気持ちだ。日本の文化やユニークな考え方などを人に伝えることを意識している。
 そして日本にいる時は、どっぷりこの世界に浸かってしまっては国際人としての考え方、感じ方を生徒に伝えることは出来ないから、自分が国際人であることを意識する。日本の面白いところやキレイなもの、不思議なことに心を震わせていたい。

 もう一つ、国際人を意識することで良いことがある。この安全な単一民族の国で暮らしていると、私だって安全な方向に流れて行ってしまいそうになる。大きな波に呑まれて漂いたくなってしまう。だから、敢えて少し違った目線も同時に持ち合わせる様にしている。私たちが普段当たり前と思っていることに、敢えて疑問を持ったり、では自分はどう思っているかと自分に問うてみたりすることで、世界の一員として漂わずしっかり自分らしく生きていける気がするのだ。

 私はそんな「国際人」をたくさん育てていくために、英語教師をしている。
ただ物理的に、ロボットの様に一字一句間違えず文章を作る人を目指すのではなく、つたなくても、自分が大事にしたいもの、人に伝えたいことを持っている国際人を育てたい。

 だから、今日も受け止める。
受け止める人がいないと、誰も発信出来ないから。
 指導者は上から情報を与えるだけの存在だと思われがちだけど、本当は「引き出して」「受け止める」仕事なんだ。

 尊い仕事なんだ。

  

2018年10月21日

ハロウィンの思い出



 今や、街を歩けば8月の終わりくらいからショーウィンドーはハロウィン。
英語教室を始めて10年が立とうとしているけれど、こんなにハロウィンの装飾やラッピング、お菓子が簡単に手に入る時代が来ようとは、夢にも思いませんでした。
以前はハロウィンは海外からお菓子やラッピングを取り寄せるという大赤字行事。今もその名残で、ハロウィンは教室の赤字当たり前行事となっています。
私のハロウィンパーティーは、他の教室や海外からの留学生ボランティアに声をかけて、子どもたちにいつも習っている先生以外の人たちと「英語で楽しくコミュニケーションする場」と決めています。

 最初にゲストティーチャーの自己紹介を英語で聞くところから。みんな、うんうんと頷きながら、時に名前を復唱したりしながら真剣に聞いています。
そして、私といつものレッスンの様にハロウィンキャラクターやハロウィンの言葉をチェック。アルファベットの読み方、フォニックスもおさらいして完全に英語モードに。

 アイスブレイクゲームとして、人数合わせゲーム、コミュニケーションゲームをゲストの先生も交えて楽しみつつ、トリックオアトリートタイム!
今回は5つのブースに分かれた先生たちのブースをグループで回りながら、ミッションをこなしていく。あるブースでは「英語パズルに挑戦せよ!」あるブースでは「先生に出来る限り多くの質問をせよ!」あるブースでは「みんなでSay "Cheese!" いいお顔でハロウィンの写真を撮ろう」。各ブースでミッションをクリアしたら、スタンプをもらい、全員スタンプをゲットしたらトリックオアトリート!
皆さんのバッグがどんどん膨らんでいきます。子どもたちは時々バッグを覗き込んでニンマリ。

 それが終わったら、Nami先生が作ったジャッコランタンに火を灯してみんなで見ます。
今年は保護者の方からいただいたかぼちゃをくり抜いてみました。(中身はもちろん美味しくいただきました)
「日本のかぼちゃは硬いので、彫るのが大変。先生がみんなの代わりに彫ったから、今日はみんなで一緒に見よう」
電気を消すと、子どもたちから歓声が上がります。キレイ〜!

 最後にコスチューム賞。私は決められないのでゲストの先生方に一人ずつピックアップしてもらって、表彰。
全体写真を撮ったら、帰りはドアのところで今日頑張ったポイントカードと引き換えに、キャンディーすくい

 最後までワクワクドキドキのハロウィン
企画運営と毎年頭を悩ませる、産みの苦しみなのですが、この子どもたちの笑顔で吹き飛びます

 このイベントは、もちろん英語教室のイベントの一環として行なっているのですが、遠い将来、子どもたちが慣れない仕事に疲れた帰り道ふとショーウィンドーでジャッコランタンを見た時、また辛くて逃避したいような気持ちになった時にふと心に広がる、温かい子ども時代の思い出の一つになるといいな…と願いを込めて行なっています。
今のみんなに、そしてずーっと未来のみんなに、届いたかな。
今年も楽しかった!Happy Halloween!!  

2018年10月18日

英語スイッチ




 ホームステイの受け入れをした。今回は息子と同じ年齢の女子高生。我が子同様に話しかける一週間。そこで改めて思ったこと。
その一週間が丸々、我が子には日本語、その子には英語と二つの言語をほぼ同時進行で話し続ける毎日だった。その中で、私の頭の中は英語のスイッチと日本語のスイッチをガシャガシャ押したり切ったり。英語スイッチ入れっぱなしで日本語を話すと、我が子に向かって変な日本語を話していたり。やっぱり言葉を話す時私たちの中には明確なスイッチがあるぞ、と気付きました。

 英語を話していると、よく聞かれるのが「何語で考えてるんですか」という質問。
そこで考える。日本語で話している時、日本語で考えてるかしら。ドラマみたいに心の声がクッキリハッキリ聞こえてきませんよね。
多分絵みたいな、イメージみたいなものが頭の中にボワワワンってあって、それを何語を使って表そうか、って考えるんだと思います。
私のイメージとしては、そこで相手が英語しか通じない人だったら、英語スイッチにガシャンと入れる。韓国語なら韓国語、日本語なら日本語、その時にふさわしい言語を、自分の能力に合わせて出すんだと思う。他言語じゃなくても、例えば日本語だったら相手によって敬語で話したりフランクに話したりする。
また、相手が同郷の人ならお国言葉で話したりする。そういうイメージ。その時頭の中は標準語ですか、方言ですか、って聞かれてもわからないですよね。

 ということで、必ず言葉を話すときは頭の中にあるイメージを外に出すための出口を決めるスイッチがあると思うんです。
 
 そこで、中学生や日本人がどうして英語を知っているのに出せないか、という疑問の答えにたどり着きました。
導き出した答えはこれです。「中学校になると英語を日本語で習うから」結局内容は英語ですが、授業は「日本語」の授業に他ならないからです。スピーキングに必要なのは、英語スイッチに入れた状態を保つ練習。
日本語スイッチに入ったまま英語という教科を習うことは、英語スイッチを作っているだけの作業で実際作動させる方法を学んでいない状態なのだと思います。

 今後本気で英語を話せる人を育てよう、と考えるのであれば、英語スイッチにいれたまま会話をする時間を増やすことです。それは学校だけの問題ではありません。家庭でも、友達どうしでも、いつでもどこでも出来ること。

 英語、話せたら絶対いい!
人生がもっともっと楽しい
是非みなさんの英語スイッチ、動かしてみてください。

 
  

2018年10月03日

英語の学び方



学校バザーのボランティアで、近隣の小学校に出かけた。
久しぶりの小学校。子どもたちが行き交い、皆嬉しそうに何を買おうか、見て回っている様子が可愛らしい。

"Hello, Nami sensei! How are you?"

声がしてふと顔を上げると、教室の生徒がニコニコ立っている。
思わず英語モードに入って英語で挨拶を交わす。
その子の友だちが「え?今なんて言ったの?」と生徒に尋ね、生徒は丁寧に挨拶の内容を説明している。私がその子たちにも "Hello." と呼びかけると、その友達も笑顔で挨拶。

それから相次いで教室の生徒たちが通りかかり、皆

"Oh!! Hello, Nami sensei!"

え?なんで先生ここにいるの?ってビックリ顔。
でもとっさに流暢な英語で話しかけてくれる。

子どもたちが思わず先生に会った〜というリアクションと一緒に自然な英語で明るく声をかけてくれたのが、とても嬉しかった。そして、周りの友達にも英語を教えて一緒に挨拶してくれたり、私に友達や兄弟を紹介してくれるものだから、私は全く知らない子どもたちにまで
"あ〜Namiせんせいだ〜!”
と、あちこちで声をかけられることに。

英語に対する壁が全く見えず、私を見かけるのと同時に条件反射的に英語モードに変わる。
そして一番嬉しかったのは、その英語をふんわりと周りの友達にもシェアして、友達も私に話しかけてくれたことだ。

以前、かなりいろいろな外国の方に「日本は英語を話せる人が少ないが、英語を話せる人でも上から目線の人が多くて、話しづらい」と言われて、それはどうしてなのか、ずっと考えていた。日本では英語が競争の道具だから、そうやって学んだ人は上から目線になってしまうのかな。
本当は言葉って、人と笑いあったり、励ましあったりする為にあるんじゃないかな…
「君の英語は温かい」と言われたのが何より嬉しいことだったけれど、それをどう人に伝えていけばいいんだろう。

私が英語を学んだのは、ニュージーランド。
たくさんの人が優しく声をかけてくれて、私のつたない英語をじっくり聞いて、とにかく待っていてくれた。
あの雰囲気で英語を話す様になったから、私もそんな雰囲気を再現したい、そう思って英語教師を続けてきた。

あなたの夢は叶っているよ
と子どもたちが教えてくれる、そんな出来事だった。
優しくて明るくて、まっすぐで。
大好きな私の生徒たち
これからも温かい輪を一緒に広げていこうね。  

2018年09月25日

賞 what?!



 毎年恒例の合同英語暗唱大会も、今年で6回目。仲間たちと0から作ったイベントで、毎年子どもたちと一緒に成長し続けるとても愛おしい大会。一緒に作り上げてきた仲間も私が心から敬愛する方々。子どもたちを包む温度が一緒だから、こうして優しく温かく一緒に歩んでこられたんだと思う。

 大会だから、もちろん賞がある。各部門賞を設けて、プロの英語教師を審査員に迎え審査をお願いする。日頃は「自分のペースで学ぼう、笑顔で学ぼう」と言っている私たちは、少しピリッとする。
それは賞が欲しいからじゃない。
賞に振り回されない様に、価値観が揺るがない様に。

 賞は飽くまでも子どもたちのモチベーションに繋がるものでないといけない。
落胆する、悔しがる、それは前向きな痛み。私たちは毎年、子どもたちのそれに寄り添う覚悟を決める。
賞を逃したことで、一番悔しく辛く悲しい思いをするのは、本人。
その落胆、それは深くて辛い。
もがいても抜け出せない様な後味の悪さ。
人生で初めて味わう苦い思い。

 そこで私たちが出来ることはなんだろう。

 見守ることに他ならない。

 絶対にしていけないことは、それに輪をかける様に「あそこが悪かった」「ここをもう少しきちんとしていれば」という負の援護射撃だ。
子どもたちが落胆している、ガッカリしている、見た目は平気そうに見える子もいるかも知れない。
でも自分が頑張って挑んだことで、目標が達成出来なかったことがどれだけ辛く悲しいことか、私たちは十分わかっているはずだ。
 そこで自分の負の思いが自分が受け止められる範囲を超えてしまったら、必要以上に重くなってしまったら、子どもたちは次に進むのを止めてしまうだろう。

 たくさんのステージに上がった子どもたちのその後の成長を見てきた私の目から見たら、賞なんていつだって物理的にはとても小さなもの。

 それを受けた子どもたちが、自信をつけてどんどん伸びていく。その成長自体が、その賞自体の価値よりも大きなこと。賞はほんのきっかけに他ならない。
 そして賞を逃した子も、その悔しさから立ち上がった時、自らを分析し、人に憧れ、そして自分の理想に近づくべく努力をする。そしてその力を大きく伸ばして羽ばたいていく。賞はそのきっかけにもなり得るのだ。

 賞じゃない、その賞をきっかけにしてどう前を向いていくのか、そこが一番大切。
それを私たちはいつも心に留めておかなければならない。通りすがりの審査員の専門知識や心情を鵜呑みにして振り回されるのではなく、目の前の我が子の努力と、立ち上がって再び歩み出すことを信じて、じっくりゆっくり温かく見守っていられるかどうか、それがその賞がその子にとって良い経験になるか、の決め手になる。

 子どもたちはちゃんと自分で向上、探求していく。
私たちはそれを邪魔しないようにするだけだ。

 こうして、私たちの大会は子どもたちが立ち上がってまた歩き出すまでを見届けたところで、やっと終わったと言える。

 今年もおつかれさま、素敵な仲間たち。  

2018年09月17日

英語の楽しみ方、もう一つ。



 ある時、生涯学習センターの大人の生徒さんに私が、「 "I" は、"私"だけでなく、"俺" "ぼく" "わし" "おいどん" "わたくし"…など自分を指す言葉全部を表す言葉なので、自分がなりたい自分を英語で再び楽しんでください♪とお伝えしたところ、面白いご質問がありました。

 ご質問は「では翻訳本の日本語はどうなっているのか」といったものでしたが、実にいい質問です!
 ズバリ、それは御察しの通り、その世界を翻訳者の方の感じ方を通しているのです。
「そんなこと、当たり前」と思われる方も多いでしょうが、実際よく考えてみると原書で作者が思ったことがそのまま翻訳されているとは限らない、ということですよ。もしかしたら、Iを「僕」のイメージで書いていたけれど「俺」と訳されていることもあり得る、ということです。
 結構本の世界観から考えると、重大なことではないでしょうか。ちなみに私は大好きなボブ・グリーン氏のコラムがいろいろな人に訳されているので、それぞれの本を読むたびに若干の違和感を覚えます。それぞれの感じ方が違うので、同じ人のコラムなのに印象が違うのです。

 質問にお答えしながら、私も改めて「気に入った本は是非原書を読みたい」と思いました。
 秋の夜長、英語の本を自分の世界を通して読んでみられませんか。ポイントは、簡単な子どもの絵本からトライすると良いようです。図書館の児童図書コーナーにあるような、簡単な洋書絵本を読みながら、「俺」でも「ぼく」でもない、自分の感じる "I"を体験してみましょう。

 
  

2018年09月16日

言葉のキャッチボール



 8月は夏休みをいただいていた親子えいごサークルですが、また後期が始まりました!

 今日は体を動かして遊びましたよ〜。カラーボールを転がしたり、投げたり、キックしたり!ポイントは『優しくできるかな?』優しくthrow、優しくkick。実はそっちの方が難しいし、そっちができる人はすごいんだよ〜♪

 うぁ〜みんな上手に、やさーしくボールをポンっと相手に向かってキック。投げるお顔も優しくなるね❤️

 言葉も同じ。相手をしっかり見て、相手がOuch!ってならないようなキャッチボールの仕方を一緒に学びましょう。

 言いたいことを我慢するのではありません。言いたいことの伝え方を考えるのです。

 言葉を学ぶのはとても素敵なことですね。


  

2018年09月11日

指導者ってさ



 指導者って大変そう。
そう、大変なのは、どんな状況でも相手を信じてかかること。実はそれがとても大変。でも、それが出来たら後は楽。


 例えば何かを話して聞かせる時、すごく伝えたいメッセージがある時。
もしかすると相手にとってそれは良いタイミングではないかも知れない。指導者にとっては「今、これ大事!聞いて〜」でも、聞く側にとってはそれを受け止めて、「よしっ!頑張るぞ!」とすぐに言えない状況があるかも知れない。

 大事なのは、それを知っておくこと


 
だから、自分のタイミングに相手のそれが合っていないことに対して腹を立てる必要もない。
その代わり、相手がちゃんと聞いていない様に見えても聞いていることを信じる。そして相手がそれを将来本当に必要な時に思い出してくれることを信じて、伝えるアクションだけは続けていくこと。それが大切。



 怒りを伴わず、ただ相手の懐に忍ばせるつもりでね。



 これを教えてくれたのは、身近な少年。15歳になった彼が、ふと「これ、前に母さんが言ってたことだよね」と言い出した。え?私も忘れてるくらい昔?でもこの子の懐にはしっかり入っていた。私からの人生のアドバイス。お守り。ちゃんと大事な時に引っ張り出してきてくれた。



 その時に受け止めてくれていない様に見えても、「なぜ今受け取らない?」「今すぐ動け!」というのは伝える側のあまりにも勝手な言い分で。会話は相手と自分がいるから成立していることを、私たち指導者は忘れてはいけない。



 もう一つ。教育は一生もの。即席で完結する教育はないから、長い目で、ゆっくり、それぞれのペースで。。。出来たら素敵だし、ストレスフリー。